「昭和Nostalgia」(71)

いよいよ飛騨市の「広報ひだ」で、「飛騨びと 言の葉綴り」の連載が始まりました。広報ひだ 2024年4月号 – 飛騨市公式ウェブサイト (city.hida.gifu.jp)

飛騨びと~言の葉綴り~ – 飛騨市公式ウェブサイト (city.hida.gifu.jp)

広報ひだの本誌は、紙面のスペースに限りがあり、掲載文は抜粋版となっております。文字数制限のないweb版も波岡孝治さん(神岡町)  – 飛騨市公式ウェブサイト (city.hida.gifu.jp)中谷節子さん(宮川町)  – 飛騨市公式ウェブサイト (city.hida.gifu.jp)併せてご覧いただければなによりです。

甚だ勝手な㊗飛騨市制20周年記念song「飛騨びと達の、SOYAな SOYAさ」をyoutubeにアップしました~っ!記念ムードで盛り上がる、飛騨市の雰囲気を歌い上げま~す!


今日の「昭和Nostalgia」はコチラ!

写真は参考

黒電話にこんなカバーを掛けていませんでしたかぁ?

わが家には、小学校の2~3年の頃に、黒電話がやって来たものです。

さっそくお母ちゃんが、他所の家の電話カバーを真似、端切れでカバーを縫い上げ、取り付けたものでした。

真ん中のダイヤルを回す時は、丸いカバーの上に縫い付けられたボタンを外し、丸いカバーを下側に垂らしてジーコジーコとダイヤルを回したような記憶が朧げに?

なんだかとってもまどろっこしくって、不便極まりないものでもあった気がしますが、黒電話に埃が溜まらぬようにとの思いと、何とも味気ない真っ黒な電話機を、少しでも可愛らしくしたいと言う、お母ちゃんならではのカスタマイズ心が、そうさせていたのかもしれません。

それとコチラ!

写真は参考

受話器口に、こんな消臭カバーを取り付けている電話機もありましたねぇ。

写真は参考

わが家にもやがて取り付けられたような、とりつけられなかったような???

記憶はあやふやです。

そこでこの消臭カバー、いったい正式にはどんな名称だろうかと、気になって調べてみました。

すると、なんとなんと!

その名は、まったくもってそのまんま「電話しょうどく」だそうじゃないですかぁ!

なんてぇこったい!

写真は参考

それと白黒テレビにも、こんなお母ちゃんお手製のカバーが、後生大事に掛けられていたものでした。

まぁ、当時としては三種の神器の一つでもありましたから、そうそう粗末には扱わなかった証なんでしょうねぇ。

それにしても古の昭和は、今よりずっとモノを大切にしていて、いやそうそう次から次へと買い替えることなど出来なかったから、そうせざるを得なかったんでしょうかねぇ?

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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「「昭和Nostalgia」(71)」への6件のフィードバック

  1. 日本の縫製技術は凄いですよね。
    こんなにもフリフリのも 都会に行けばあったんですよね。驚きました。
    家にもカバーがついていました。懐かしいです。なんでも大切に使ってました。そしてなんでも大切にしすぎて しまってました。

    1. やっぱり電話機カバーやTVのカバー、それに魔法瓶のカバーとか、当時の流行りだったのかも知れませんねぇ。

  2. 電話カバーは我が家にも。
    昭和45年かな?
    団地に入居したのを機に導入したね。
    小学校1年生。
    学校連絡網の兼ね合いもあったんだけど、
    まだまだ呼び出しのところもあったから、
    中流家庭?なんだろかぁ。
    電話しょうどく?なるものは、
    我が家にはなかった。
    整形外科をやってる友人の家電は付いてたね。
    上流家庭?(笑)
    後さ、
    電話機の横に置いたオルゴール。
    受話器を置くとなるやつ。
    あれも初めて見たのもそこだもの(笑)
    テレビにカバーもあったね。
    我が家もその頃かなぁ、
    カラーテレビにしたのは。
    それまで白黒だったからさ衝撃だったよね。
    おはようこどもショーのロバくんとガマ親分。
    こんな色してたんだぁってね。
    物は大切にしてたよね。
    高価なものだし様様だもの。
    今は新製品のサイクルが早すぎる(~_~;)

    1. 電話機の横の受話器置きオルゴールってありましたね~っ!
      って、わが家にゃあそんな洒落たものありませんでしたけどねぇ。

  3. 前にも書きましたが、小学生の頃は呼び出し電話でした。アルバムの連絡先の電話番号に(呼)と書いてあります。
    何だか少し恥ずかしかった記憶があります。
    我が家には自動車も無かったし。
    隔世の感がありすぎですね~!

    1. ぼくん家も、お向かいのサッチャン家が呼び出し電を引き受けてくれてましたぁ!
      緊急性の高い電話が入ると、晩御飯の最中だろうが、お風呂に入ってる時間であろうが、サッチャンが走って来て「おばちゃ~ん、電話、電話」と呼びに来てくれたものでした。
      懐かしい!

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