いよいよ飛騨市の「広報ひだ」で、「飛騨びと 言の葉綴り」の連載が始まりました。広報ひだ 2024年4月号 – 飛騨市公式ウェブサイト (city.hida.gifu.jp)
飛騨びと~言の葉綴り~ – 飛騨市公式ウェブサイト (city.hida.gifu.jp)
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今日の「昭和Nostalgia」はコチラ!

黒電話にこんなカバーを掛けていませんでしたかぁ?
わが家には、小学校の2~3年の頃に、黒電話がやって来たものです。
さっそくお母ちゃんが、他所の家の電話カバーを真似、端切れでカバーを縫い上げ、取り付けたものでした。
真ん中のダイヤルを回す時は、丸いカバーの上に縫い付けられたボタンを外し、丸いカバーを下側に垂らしてジーコジーコとダイヤルを回したような記憶が朧げに?
なんだかとってもまどろっこしくって、不便極まりないものでもあった気がしますが、黒電話に埃が溜まらぬようにとの思いと、何とも味気ない真っ黒な電話機を、少しでも可愛らしくしたいと言う、お母ちゃんならではのカスタマイズ心が、そうさせていたのかもしれません。
それとコチラ!

受話器口に、こんな消臭カバーを取り付けている電話機もありましたねぇ。

わが家にもやがて取り付けられたような、とりつけられなかったような???
記憶はあやふやです。
そこでこの消臭カバー、いったい正式にはどんな名称だろうかと、気になって調べてみました。
すると、なんとなんと!
その名は、まったくもってそのまんま「電話しょうどく」だそうじゃないですかぁ!
なんてぇこったい!

それと白黒テレビにも、こんなお母ちゃんお手製のカバーが、後生大事に掛けられていたものでした。
まぁ、当時としては三種の神器の一つでもありましたから、そうそう粗末には扱わなかった証なんでしょうねぇ。
それにしても古の昭和は、今よりずっとモノを大切にしていて、いやそうそう次から次へと買い替えることなど出来なかったから、そうせざるを得なかったんでしょうかねぇ?
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日本の縫製技術は凄いですよね。
こんなにもフリフリのも 都会に行けばあったんですよね。驚きました。
家にもカバーがついていました。懐かしいです。なんでも大切に使ってました。そしてなんでも大切にしすぎて しまってました。
やっぱり電話機カバーやTVのカバー、それに魔法瓶のカバーとか、当時の流行りだったのかも知れませんねぇ。
電話カバーは我が家にも。
昭和45年かな?
団地に入居したのを機に導入したね。
小学校1年生。
学校連絡網の兼ね合いもあったんだけど、
まだまだ呼び出しのところもあったから、
中流家庭?なんだろかぁ。
電話しょうどく?なるものは、
我が家にはなかった。
整形外科をやってる友人の家電は付いてたね。
上流家庭?(笑)
後さ、
電話機の横に置いたオルゴール。
受話器を置くとなるやつ。
あれも初めて見たのもそこだもの(笑)
テレビにカバーもあったね。
我が家もその頃かなぁ、
カラーテレビにしたのは。
それまで白黒だったからさ衝撃だったよね。
おはようこどもショーのロバくんとガマ親分。
こんな色してたんだぁってね。
物は大切にしてたよね。
高価なものだし様様だもの。
今は新製品のサイクルが早すぎる(~_~;)
電話機の横の受話器置きオルゴールってありましたね~っ!
って、わが家にゃあそんな洒落たものありませんでしたけどねぇ。
前にも書きましたが、小学生の頃は呼び出し電話でした。アルバムの連絡先の電話番号に(呼)と書いてあります。
何だか少し恥ずかしかった記憶があります。
我が家には自動車も無かったし。
隔世の感がありすぎですね~!
ぼくん家も、お向かいのサッチャン家が呼び出し電を引き受けてくれてましたぁ!
緊急性の高い電話が入ると、晩御飯の最中だろうが、お風呂に入ってる時間であろうが、サッチャンが走って来て「おばちゃ~ん、電話、電話」と呼びに来てくれたものでした。
懐かしい!