いよいよ飛騨市の「広報ひだ」で、「飛騨びと 言の葉綴り」の連載が始まりました。広報ひだ 2024年4月号 – 飛騨市公式ウェブサイト (city.hida.gifu.jp)
飛騨びと~言の葉綴り~ – 飛騨市公式ウェブサイト (city.hida.gifu.jp)
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今日の「昭和Nostalgia」『小学校の想い出シリーズ⑬』はコチラ!

これをご覧になって、子どもの頃の「検便ぎょう虫検査」を思い出された方がいらっしゃったとしたら、それはもう貴方もちゃっかり、押しも押されもせぬ立派な昭和人に他なりません。
ぼくも子どもの頃は和式便所で屈み、両手でチリ紙を広げウ〇チを受け取り、その一部をそれこそマッチ棒のお尻で摘まみ上げ、空っぽのマッチ箱に詰め込んだものでした。
そしてマッチ箱をわら半紙のようなもので包んで、確かマジックで何年何組と所属クラス名と名前を書いて、担任の先生に提出したような?
担任の先生の机の上には、クラス全員のマッチ箱に入った、検便のウ〇チが山となっていたんでしょうねぇ。
残念ながらその光景の記憶はこそげ落ちてしまっております。

それから何年かすると、マッチ箱の検便から、こんなシール状のようなものに変わったような?

しかしこれも、シールの中心をお尻の的になかなか当てられず、ホトホト困ったような記憶があります。
とは言え、お尻を突き出してお母ちゃんに、平気な顔してシールを貼ってもらえるような、そんな幼い時代はとっくの昔に過ぎ去ってしまった、思春期入り口の時代の頃だったような・・・?
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ある意味儀式だよね。
便通の良くない人には拷問のようなものだす。
とは言え、
採取の方法も時代とともに変化をして、
なんとも現在ではかなり清潔的に採取出来るようです。
時代変われど便通の悪い方にはやはり試練のようですが・・・
当然社会人になった今でも年に一回は提出しておりますです。
ここまで来たので次のネタは厳しいのでは(笑)
楽しみに待っております(≧▽≦)
これだけ医学が進歩しても、検便そのものは無くならないものなんですねぇ。
確かにマッチ箱の時代よりは、いささか検査キットなるものが進化してきているようですが・・・。
マッチだけでも懐かしいのにのに
もうすっかり忘れていました。
私の中ではシールの記憶が蘇ってきました。
マッチのつけ方も 学校で教えて貰ったのに 「外国人かっ!」て言われるつけ方だそうです。とほほ
そう言えばマッチを擦るってぇ行為そのものも、今となっては少なくなってしまいましたものねぇ。
ぼくは一時、ハンズで外国製の蝋マッチを買い込んで、それで煙草に火を付けていた時代もありました。
それこそ30年以上前ですが!
マッチ箱に…って 凄い時代でしたよね〜。
小学校2年頃までがマッチ箱で その後からセロファンに変わったかと思います。いきなり進化してるなら なぜマッチ箱?って思っちゃいます。
今でも毎朝 マッチを使ってますよ。お線香をあげるので。
りんを鳴らすと 長男が『昔 昔…』と呟きます。小さい頃 写真を見ながら「おじいちゃんとおばあちゃんだよ。おはよう!だね。」と説明すると どうも 桃太郎の話【あるところに お爺さんとお婆さんがいました】と結びついてしまったようで。(笑)
なので 呟いた後は私が「そうだね〜!おじいちゃんとおばあちゃんに おはよう!だね〜。」と続けると ちゃんとりんを鳴らして 手を合わせてます。( ◠‿◠ )
おりんの音は、ぼくも好きな音の一つです。
ぼくも勿論毎朝、線香を手向け、蝋燭を灯し、りんを鳴らして両親の遺影に手を合わせています。
不思議と心が穏やかになるから不思議でなりません。
そうでした。マッチ棒でやっていましたねえ~。
今でもマッチを使うのは実家に行って仏壇に焼香する時くらいですね。
湯治は大きなお徳用、桃印のマッチが台所やちゃぶ台の上に置かれていたものでした。