いよいよ飛騨市の「広報ひだ」で、「飛騨びと 言の葉綴り」の連載が始まりました。広報ひだ 2024年4月号 – 飛騨市公式ウェブサイト (city.hida.gifu.jp)
飛騨びと~言の葉綴り~ – 飛騨市公式ウェブサイト (city.hida.gifu.jp)
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今日の「昭和Nostalgia」『文房具シリーズ⑨』の文房具はコチラ!

こんな竹製の30cm物差しを使ったものでした。
わが家には、三尺物の竹製の物差しがあり、それを刀に見立ててチャンバラゴッコなんぞに興じたものでした。
この三尺物の物差しは、お母ちゃんが内職の洋裁をする時の道具で、こっそりチャンバラゴッコに使ったりすると、大目玉を喰らったものでした。
それから学習机に向かって座っていると、「猫背になっとる!」と、首の後ろからお尻まで、下着の内側に物差しを突っ込まれたものです。
お父ちゃんの日曜大工の道具では、こんな木製折り畳み式物差しなんぞもありましたねぇ。

小学校の高学年になると、

こんな「ロータリー定規」とか「デザイン定規」と呼ばれるものや、

こんな「スピロデザイン」とか言う、不思議な定規を見せびらかす者もいて、ぼくも一番安いセットを買ってもらった覚えがあります。
そしてこんな感じで、不思議な模様を得意満面で描いたものでした。

でも、それも束の間!あっと言う間に飽きちゃって、あの定規はいったいどこへ行ったものやら?
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我が家に、裏に旧姓が書かれた50センチ物差しが今も健在です•̀.̫•́✧
私の中では30センチ物差しは小学生、50センチ物差しは中学生の時に購入した記憶です。という事は、50年以上も前の物!!!
そう考えるとビックリだわ(@_@。
竹は年月を経るたび飴色に変色し、味わいが出ますから、半世紀前の物ならかなりいい色になってんじゃないでしょうか?
竹の物差しには、モノを計る目盛だけが刻まれているだけではなく、当時の想い出も刻み込まれているんでしょうねぇ。
母とミシンの講習会に出かけて ロータリー定規のような模様になるのをミシンに取り付けて 模様を作り 「これは凄い!」と言ってミシンを買って貰いました。
白い枕カバーに模様をつけたりしましたけど 結局は糸が沢山いるので すぐに使わなくなりました。
なので 今も残っている 色とりどりのミシン糸を眺めるとワクワクします。
へぇーっ、ミシンに取り付ける、そんなタイプのものもあったんですねぇ。
と言うよりも、ミシンで刺繍する時の技術の応用が、文具になったんでしょうかねぇ。
持ってた!
学校指定だったかな。
みんなランドセルから飛び出してたの覚えてる。
チャンバラはやったね。
女子あたりは可愛い布袋に入れていたっけ。
折り畳み式ってのもありましたなぁ。
畳の上を這わして電車に見立ててたっす。
ローリー定規も懐かしい。
当然買っては貰えなかったけど、
だから何って感じもあったんでそれまでかな。
とにかく机に向うこと自体しない子供だったので、
文房具への執着はなかった。
所有はしてないが、
やはりその時代を生きてきたので記憶にはあるのよねぇ(*^^)v
みんな似たり寄ったりだったですからねぇ。
ぼくなんてお母ちゃんが洋裁で使う三尺物の竹製物差しでチャンバラをやる時、子どもながらにもそれなりに演出効果を高めたいと、物差しの片側にお母ちゃんの鏡台にあった口紅を塗って、友達を袈裟懸けにしたとき、友達のランニングシャツにべったりと血糊代わりに口紅で斬り口を塗ったくったこともありました。
私が通ってた小学校は ランドセルが指定の物で 今のランドセルより少し大きめだったので 物差しを入れても 外からは ほんの少ししか見えなくて…。
でも 通学班の班長になると 横断歩道などで使う 黄色の横断旗を持つ事が出来て それを下校時にランドセルに入れると外からは一目瞭然。な〜んか格好良くて憧れてました。
けど 6年の2学期に転校した為 夢叶わず…でした。( ◠‿◠ )
小学生の頃の小さな小さな、微笑ましいくらいの淡い憧れってありましたよねぇ。
それもこれも、当時から遠のけば遠のくほど、愛おしさも人一倍です!