「昭和Nostalgia」⑬

甚だ勝手な㊗飛騨市制20周年記念song「飛騨びと達の、SOYAな SOYAさ」をyoutubeにアップしました~っ!記念ムードで盛り上がる、飛騨市の雰囲気を歌い上げま~す!


今日の「昭和Nostalgia」は、コチラ!

写真は参考

子どもの頃、近所に市営住宅の庭に掘っ立て小屋を作り、そこで一文菓子屋兼お好み焼きを商うお店がありました。

そこにぼくより二つ歳下だったかの息子がおり、周りからトシ君と呼ばれていたこともあり、ぼくらはみんな放課後になると「トシ君家(ち)へ行こう」が合言葉だったものです。

文字通りくじ付きの一文菓子から、文房具に日用品、そして冬場は味噌おでんに、夏場はところてんまであった、当時の子どもたちにとってのテーマパークさながらでもありました。

雑然と並べられた商品棚の中央に、テーブルを兼ねた鉄板が置かれていて、額にタオルを巻いたトシ君のオバちゃんが、不機嫌そうな仏頂面で、お好みやら焼きそばを焼いていたものです。

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壁に掲げられた油染みだらけの品書きには、お好み焼きやら焼きそばの並みから、肉玉やらイカ入りの料金が表示されていたはずですが、もういくらしたのかもさっぱり思い出せません。

ただしわが家のお母ちゃんが、トシ君家でお好みや焼きそばを食べに連れて行ってくれるのは、一月にわずか一回あるかなしか。

しかもお母ちゃんのご機嫌がすこぶるいい日に限っていたような。

だからして、一日10円の当時のぼくの小遣いじゃ、おいそれと手の届かなかったほどの料金だったはずです。

そんな中、一番値の張る高級なメニューは、「モダン焼き」という代物。

たまたま居合わせた客の親子が「モダン焼き」なるものを注文したことがあり、見たことも無いその「モダン焼き」がいかなるものかと、ぼくらは遠巻きに鉄板を覗き込んだものでした。

するとトシ君のオバちゃんは、鉄板の片側で焼きそばを焼き、片側にお好み焼きの生地を焼いてそこに焼きそばを乗せ、再びお好みの生地を垂らしてひっくり返して焼き上げ完成。

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見るからにどこが「モダン」なのかさっぱり分からないながらも、とっても美味しそうに見え、いつかはぼくも「モダン焼き」を食べるぞと、夢が膨らんだものでした。

そしてお母ちゃんがすこぶる機嫌がよく、内職の手間賃が入った日だったか、トシ君家でお好み焼きランチと洒落込むことになったのです。

もちろんお母ちゃんの機嫌の良さに乗じて、ここぞとばかりに一番高価な「モダン焼き」を注文。

この時ばかりは、特等席のかぶりつきでオバちゃんのお手並みを拝見。

お母ちゃんと半分こにして、人生初となる「モダン焼き」を完食。

そりゃあもう、美味しかった事この上なしでした。

が!

オバちゃんが鉄板の上を鏝でこそぎ、油染みだらけの台拭きで、鉄板の汚れカスを取り除いていたその時!

見てはいけないものを目にしてしまったのです!

お母ちゃん、アレッ!

ぼくはオバちゃんが手にしていた台拭きを指差しました。

すると・・・

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お母ちゃんは支払いをさっさと済ませ、ぼくを店から連れ出したのです。

「ああ、気持ち悪っ!もう二度と、トシ君家でお好みも焼きそばも食べたらいかん!あの台拭きの縫い合わせ、あれきっとトシ君家のオジちゃんの古なった下着やで!」と。

いずれにしても昭和半ばは、とんでもなく緩い時代でございました。

まぁ、どこやらの「紅麹」よりは、まだましかもしれませんが!

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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「「昭和Nostalgia」⑬」への4件のフィードバック

  1. ありました!
    懐かいなぁ。
    地元のは割と時間帯が特殊だったので、
    スーパーやなんかにあるのとは違って、
    使い勝手は良かったかなぁ。
    金銭的にも中学にならないと実際食べれなかったけど、
    高校時代にもバイクで乗り付けては食べてたね。
    ホントに片手間でやっていたレベルだったけど、
    なぁんにも気にせず味わってた。
    台拭きまでは記憶にないけど、
    案外おばあちゃんのショーツなんか使ってたかもね(笑)

    1. まあ、何と言っても、昭和の緩さは天下一品でした。
      今のように、息苦しさを感じてしまうようなことはなく、ストレスフリーな時代だったと思います。

  2. 初めてモダン焼きを知ったのは 社会人になってからでした。
    会社の先輩に連れて行ってもらったお好み焼き屋で メニュー表にあったモダン焼きという名前に ?となり 先輩に教えて貰い 早速注文。
    あまりにも大きくて ビックリしたけど 美味しかったなぁ〜( ◠‿◠ )
    今では 時々 息子達が食べてます。

    1. ぼくがトシ君家で食べたモダン焼きは、広島や気風の本格的なものなんかじゃなくって、なぁ~んちゃってモダン焼きでしたぁ!

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