この物語「転生の追憶」は、「海音(かいと)」さん原案で、それにぼくが肉付けをさせていただいた、共著のような思い出深い作品です。
海音さんとは、ぼくが23歳の頃に出逢いました。
当時、某大手広告代理店にお勤めであった海音さんと、一方のぼくはしがない歌唄い。
面倒見がよく誰からも好かれた海音さん。
しがない歌唄いでしかなかったぼくでも、海音さんは親身になって面倒を見て下さり、ぼくも分不相応とは知りつつも、兄貴のように慕わせていただきながら、約40年近くを過ごさせていただきました。
しかし2019年、病に倒れ身罷られてしまわれたのです。
何もご恩返しの一つも出来ず。
ただただ自分のふがいなさを痛感したものです。
この「転生の追憶」は、海音さんが某大手広告代理店で役員に上り詰められた頃、物語の構想をぼくに語られ、それを一つの作品として仕上げる手伝いを頼みたいと持ち掛けられスタートしました。
そうして2008年に書き上がったのが、この物語です。
いつになるか分かりませんが、ぼくも召されてあの世とやらで、もう一度海音さんにお目に掛れたなら、思い出話を肴に一献ご一緒したく、思い出深い共著「転生の追憶」を海音さんに捧げ、ブログでご紹介させていただきます。
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「転生の追憶」1話
朝から細かい霧の様な雨が降り続いている。埠頭に停泊中の客船が、まるでベールにくるまれたようだ。旅支度を整えた日本人が、次々とタラップを駆け上がっていく。

波止場の待合所に佇み、黙ったままその光景を恨めしそうに眺める男女がいた。
一九三七年七月七日夜半。廬溝橋西北で銃声が鳴り響いた。その日、後の世にいう廬溝橋事件が火蓋を切り、八年におよぶ泥沼の日中戦争が勃発した。

ここ香港に於いてはその一週間後、日本国政府が日本人に対する早期帰国令を発布したのであった。
「この愚かな戦争が、私達を引き裂くというのか」男は流暢な日本語を吐き捨て、女を胸元に抱き寄せた。
男は麻のジャケットの胸元に手を忍ばせ、銀の懐中時計を二個取り出し、小振りの時計を女の掌にそっと握らせた。

「ウォンさん…」
「私はこれを君と思って、戦争が終わる日をここで待ちます」男は懐中時計の裏蓋を開いて見せた。

裏蓋の中には、ドレス姿の女の顔写真が埋め込まれている。女も裏蓋をそっと開いた。そこにはタキシードにブラックタイで正装した、男の笑顔があった。
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河口湖、富士山巡り
無事に帰って来ました。
遠かった・・⤴
皆さんの予想にはんして天気にも恵まれて、
富士山を観る事が出来ました。
ホテルの部屋からもしっかりと
翌日は河口湖遊覧船に乗って、絶景の富士山
義母が、冥途の土産が出来たと喜んで貰えました。
計算したら、富士山を約四分の三周の充実旅行でした。
それはそれは、とっても良い親孝行旅行となりましたねぇ。
絶景絶景!
なんだか物凄い重厚感があるような始まりですね⁈
また いろんな想像をしてしまったけど 今回は あまり軽々しく口にしてはいけない気が…。
しっかり読ませて頂きますね。
どんな角度から物語に入っていただくかによっても、読後の心象風景も変わるものかも知れません。
いずれにしてもお付き合い下されば何よりです。