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お母ちゃんが涙もろくなったのは何時のことだったろう。
我が家は、両親とぼくのたった三人の家族だった。
戦後復員したお父ちゃんは、学歴も無く造船の溶接工として一家を支えた。

お母ちゃんは寝る間も惜しみ、僅かな手間賃の内職に明け暮れた。
パート勤めに出て鍵っ子にしたくないと。

そしてぼくが学校から帰った時、せめて「おかえり」と言って迎えてやりたいのだと。

この国の高度成長は、労働者を残業代で縛り上げ、お父ちゃんもボロ雑巾のように働き詰めた。
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小学生になってからずっと母親の『おかえり』の声を聞く事はなかったです。逆に夜遅く 私達が「おかえりなさい」って。
保険に入って下さってたお客さんや知り合いのお宅に 夜伺った際「お子さん達だけで大丈夫?」と聞かれた母は『あの子達が家事とかをやってくれてるから 大丈夫大丈夫…』と答えてたそうです。
最近この事を知りました。
いろんな家庭やお仕事や事情があるけど やっぱり誰かの『おかえりなさい』の声は…
ぅん! 大事です。
特に幼少期は。
双子の妹がいたとはいえ お友達の家庭を見る度に 羨ましいなぁ〜って思ってましたもん。
「おかえり~っ」って、とっても素敵な日本語だと、ぼくは思います。
もちろんそれは、「いってらっしゃ~い」と対でなくちゃあなりませんけどねーっ。