❝言えなかった『おかえり』❞①

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お母ちゃんが涙もろくなったのは何時のことだったろう。

我が家は、両親とぼくのたった三人の家族だった。

戦後復員したお父ちゃんは、学歴も無く造船の溶接工として一家を支えた。

写真は参考

お母ちゃんは寝る間も惜しみ、僅かな手間賃の内職に明け暮れた。

パート勤めに出て鍵っ子にしたくないと。

写真は参考

そしてぼくが学校から帰った時、せめて「おかえり」と言って迎えてやりたいのだと。

写真は参考

この国の高度成長は、労働者を残業代で縛り上げ、お父ちゃんもボロ雑巾のように働き詰めた。

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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「❝言えなかった『おかえり』❞①」への2件のフィードバック

  1. 小学生になってからずっと母親の『おかえり』の声を聞く事はなかったです。逆に夜遅く 私達が「おかえりなさい」って。
    保険に入って下さってたお客さんや知り合いのお宅に 夜伺った際「お子さん達だけで大丈夫?」と聞かれた母は『あの子達が家事とかをやってくれてるから 大丈夫大丈夫…』と答えてたそうです。
    最近この事を知りました。
    いろんな家庭やお仕事や事情があるけど やっぱり誰かの『おかえりなさい』の声は…
    ぅん! 大事です。
    特に幼少期は。
    双子の妹がいたとはいえ お友達の家庭を見る度に 羨ましいなぁ〜って思ってましたもん。

    1. 「おかえり~っ」って、とっても素敵な日本語だと、ぼくは思います。
      もちろんそれは、「いってらっしゃ~い」と対でなくちゃあなりませんけどねーっ。

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