大矢駅界隈「濃尾八景~天下に轟く釜ヶ滝」
「おおいっ、ちょっとあんたあ!やっと思いだいたて!」。
釜ヶ滝ます園を後にしようとして、大声で呼び止められた。
「そうじゃそうじゃ。こんな歌詞やったて!」。
老夫婦はやっとのことで思い出せたことを、満面に笑みを湛えて喜び合う。
まるで何十年も前の、子どものままの瞳で。
♪(鉄道唱歌の節で)次は下田の駅場にて 天下に轟く釜ヶ滝 岩堂高く水踊る 百雷ここに落ちるとぞ♪
「そうやそうや。肝心の『天下に轟く釜ヶ滝』を忘れとったんやわ」。
釜ヶ滝ます園の主、小酒井一夫さん(84)と、妻ともこさん(84)である。

釜ヶ滝の昔話を伺っていると、一夫さんの父母も口ずさんだ、釜ヶ滝の唄があったという。
「作り唄やけどな」。
どんな歌詞かと尋ねると、夫婦で顔を見合わせ、遠い幼き日の記憶を手繰り出す。
しかし、何度と無く繰り返しては見るものの、『天下に轟く釜ヶ滝』の歌詞の一節だけがどうにも抜け落ち、一向に思い出せそうに無かった。

諦めて暇を乞い、ます園を後にしようとしたまさにその時、老夫婦の脳裏に遠き日の記憶が蘇ったようである。
「何と言っても『濃尾八景』の一つに数えられとるんやで、忘れちゃあならんて。村のもんらにとっちゃあ、釜ヶ滝が誇りやったんやで。でもあかんなあ、歳食うと。肝心要の歌詞を、すっかり忘れてまっとんやで。でもこんな唄、声に出して歌ったの何十年ぶりやろ」。
一夫さんは昭和2年に、この集落で生れた。
「子どもの頃の釜ヶ滝は、今のように鉄製の階段なんてあれせん。行者さんらが架けた藤蔓の縄梯子だけやったんやで。戦前は5月になると行者さんらが来て、護摩を焚いて滝開きをしたもんや。滝壺には天然のアマゴや鰻が、ほりゃあようけおったって。こっから5~6キロ北へ行った粥川の方じゃ、鰻は神様の遣いだゆうて食わんらしいけど、ここらのもんは『ちょっと鰻でも獲ってこか』ってなもんや。ミミズ掘って猫柳の枝を竿にして、石の重石を乗せて50本ほど、一晩中滝壺に仕掛けとくんやて。翌朝見に行ってみい、びっくりやで。一晩で40匹掛かったこともあった。あんな頃は、長良川から釜ヶ谷の沢へと、20センチほどの鰻が、真っ黒になって遡上して来よったんやで。わしら子どもらは、手拭い広げて二人して四隅を持って掬うんやけど、あかんわ。ちっとも獲れやせんで」。

一夫さんは傍らの妻を振り返り、懐かしそうに笑った。
「わしが知っとるだけで、釜ヶ滝は2回も土石流で埋もれてまったんやて。1回目は、昭和34年の伊勢湾台風。それからしばらくして、ゴルフブームが巻き起こって、この谷の上にゴルフ場開発が始まった時。滝壺が土砂で埋まってまってなあ。そんでもまたしばらくすると、知らんとる間にまた元の美しい姿に戻っとんやで。大自然の力は、つくづく大したもんやて。でもそんだけ、山の水は破壊力があって恐ろしいっちゅー証拠や」。
一夫さん夫婦のます園は、昭和36年から続く老舗だ。

「まあ、わしが歳食って弱って来たもんでよう、建築関係に勤めに出とった息子が跡継いでくれよるんやて。そや、あんたも滝見に行く前に、マス釣りしてったらどうや?すぐに塩焼きにしたるで、ついでに飯も食ってったらええ」。
そうまで言われたら引くにも引けぬ。
「家の釣堀はなあ、3色あるんやて。まず子どもらでもええように、1本200円で切れん糸でマスを釣る方法。これやと釣った分だけ100グラム160円の目方で買わんなんけどな。2番目のマスの餌釣りは、3本1000円で糸が切れるまでの釣り放題。それと最後は、1本500円のアマゴとイワナの引っ掛け。8月になると、鮎の引っ掛けも出来るんやて」。(※料金はいずれも2011.9.13時点)

釣った魚は隣接のバーベキュー小屋で、1匹100円で炭火で焼くもよし、また美濃名物の味噌味ケイチャンや流しそうめん(夏のみ)で舌鼓を打つもよし。(※料金は2011.9.13時点)

「家のマスもアマゴも、そいでもってイワナも、あの西に聳える瓢ヶ岳の清水を使って孵化させたもんやし、鮎も稚鮎から育てとるで旨いんやて」。
自分の手で釣り上げたマスの塩焼きで腹を満たし、今度こそ暇乞いをして目指す釜ヶ滝へと向う。

森が初夏の陽射しを遮り、なんとも清らかで澱みない、ひんやりとした空気を味わいながら、滝へと続くゆるやかな坂を上る。
知らぬ間に覚えたばかりの「♪次は下田の駅場にて 天下に轟く釜ヶ滝 岩堂高く水踊る 百雷ここに落ちるとぞ♪」を口ずさみながら。
約800メートル、新緑のトレッキングを愉しむうちに、目指す釜ヶ滝の入り口へと辿り着いた。
そもそも釜ヶ滝とは、下流から参之滝、弐之滝、壱之滝と順に、上流へと遡る3つの滝の総称である。
さらに参之滝へと続く小径の脇には、行者滝と呼ばれる水量の細い瀑布が一筋。
行者はまずこの滝に打たれて禊、そして参之滝から沢筋を上ったのであろうか。
滝壺から涌き出でる沢の流れに沿って参之滝へと続く石段を上がる。
すると上り詰めたところに鳥居が現れた。

まるでこの先に待ち受ける、尊い3つの釜ヶ滝を護る結界のようだ。
鳥居を潜ると、ついに参之滝が姿を現した。
苔生した岩肌と原生林が周りを包み、何千種類という様々な緑色を放ち続ける。
まるで神秘の滝を縁取るかのように。
あたりに人の気配は欠片も無い。
滝壺へと注ぎ込む水は、森の邪気を払い落とし、風が木々たちの葉擦れを誘えば、鳥たちも歌う。
何だか太古の楽園に迷い込んだようで、心が一つずつ解きほぐされてゆくような気分だ。
神聖な気分のまま、鳥居脇の石段を弐之滝へ。
途中の右手には、岩肌を刳り貫いたような6体ほどの石仏が。
どれも長い年月の風雪に耐え抜いた証か、お顔もお姿も全体的に丸みを帯びていた。
弐之滝を吊橋の上から見下ろす。
まさに釜ヶ滝の由来とも言うべき、釜のような岩堂の滝壺が現れた。
吊橋から覗き込めば、何だか地球の胎内へと続く入り口のようでもある。
そして急勾配の鉄製階段を、手摺りを頼りによじ登る。
そうか、昔はこれが藤蔓の縄梯子だった壱之滝へと続く難所か。
急な岩肌に設えられた、足場が異常に狭い急勾配の階段を、息を切らして上がり切る。
するとついに壱之滝が眼前に広がった。
苔生した巨岩の間から涌き出でる壱之滝。
その落差はわずか3メートルにも及ばない。
だが小さな滝壺へと流れ落ちた清流が、大きな石の間を擦り抜け、絶え間なく沢筋を下ってゆく。

釜ヶ滝は、気も遠のくような遥か太古の昔から沢を潤し、そしてやがて一筋の谷川となり、天下の名川長良川へと、この森の恵みを永久に運び続ける。
釜ヶ滝ます園/郡上市美並町上田
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新緑のシーズンになったら
釜ヶ滝へ行ってみよっと・・
自然が溢れ、のんびりと散策
昨年、金華山くらいの低い登山用に
靴、服等を揃えたけど一度も行けてないので
今年は色んな所へと考えています。
今年の目標
*想い出作り・・♫
そうそう、思い出に勝るものは無し!
それも小さな幸せを感じられるような、素敵な思い出なら、他に掛け替えなんてありませんものねーっ。
小さめな滝から大きな滝まで 何ヶ所かで見た記憶があります。
私自身も幼かったり若かったりで 滝を見て「ワァ〜凄〜い!」の感想だけで サッと通り過ぎてしまったような…(笑)
でも年齢をかなり重ねてから見た時は 見方や感じ方がかなり変わっていました。滝だけではなく周りの自然や風や空気にも意識が入ったりして。
空と雨と山と川や海は 全て繋がってると…。
あと 神秘的な魅力もあるような気がしますね。
幼き日、小さな身長の目線で捉えた360°のパノラマ風景と、徐々に成長して新調が伸びて行ってからの風景では、視点の位置が変わったように、知識も幼き日以上に豊かになって、人としての感情の幅も拡張されて行くからなんでしょうかねぇ。
昔暮らした街なんかもそうでした。
子どもの頃は、とっても大きな洋品店だと思っていたのが、今になって見るとこんなに小さなお店だったんだって!