郡上大和駅界隈「てーまのホルモン焼き」
間違いなくこの店のはずだが…。
「てーまのホルモン焼き五石」という、大きな看板の矢印の先であるのだからして。
何でも昔ながらのケイちゃんを、朝から食わせると聞いた。
昨今のご当地グルメブームにより、「ケイちゃん」の名が脚光を浴びる遙か昭和の半ばから、この地でホルモン焼きと言えば、鶏肉を自家製の味噌ダレで焼く、この五石の「てーま」と決っていたそうだ。
しかしどこからどう眺めて見たところで、焼き肉屋らしき気配は、さらさら感じられない。
昔ながらの古びた引き戸を開け、中の様子を伺うと、野菜や缶詰に食料品、はたまた洗剤に殺虫剤からトイレ用の徳用ちり紙まで、日々の雑多な生活雑貨が渦高く積み上げられている。

さし当たり、昭和半ばにはどこの町でも必ず見かけた「萬屋」だ。
だがどこからともなく、そこはかとなく味噌の匂いと、脂の焦げる小気味いい音が漂い、ねっとりと鼻腔にまとわりつく。
思わず匂いの出処はと、店中を眺め回すのだが、ホルモン焼き屋の気配などない。
すると入り口の引き戸が音を立て、野良仕事の途中のような出で立ちの老夫婦がやって来た。
老人は首に巻いたタオルで汗を拭いながら、開口一番「今日はまた一段と暑っいなあ。ちょっとビールでも飲んで汗を沈めんとなあ!」と、店の者に声を掛けレジの奥へとツカツカと入り込んで行くではないか。
ぼくも釣られて怖いもの見たさで、老夫婦の後を追う。
するとそこには、デコラ張りの4人掛けテーブルが配置され、ガスコンロの上の鋳物製の鉄板で、ケイチャンとキャベツが程よく焼け始めている。
何とも五臓六腑が騒ぎ立ついい匂いだ。
でも待てよ。
壁の柱時計を眺めると、何とまだ10時を回ったばかり。
まさかと思い、腕時計でもう一度確かめるが、やはり10時過ぎ。
しかも紛れも無く、お天道様が上りの途中の午前10時なのだ。
しかし、郷に入っては郷に従えか。
ぼくも老夫婦を真似、たまらずケイチャンとキャベツにビールを所望した。
「はいっ、お待たせ」。
てーまの味「ホルモン焼き五石」の二代目女将の佐古尾菊代さん(44歳)が、鉄板の上に具材を載せ焼き方を指南。

すかさず店名の由来を問うた。
すると、「義父の名前が貞治やで、周りの人らから『てーま』の愛称で呼ばれとって、昭和34年にこの店開いたんやて」と。
ホルモンと言えば、ついつい豚や牛の臓物を連想してしまうのだが、ケイチャンは臓物どころか、どこをどう見ても立派な鶏肉そのものである。
「創業当時の頃はまだ一杯飲屋みたいやったそうですが、韓国の方が土木工事でこの辺にこられてたみたいで、その方から父がケイチャンの味付けとかを学んだとか。だから当時から鶏肉のことも、ホルモンって呼んでたらしいわ。さあどうぞ。そろそろ焼けてきましたに」。
鉄板の上で味噌に絡んだケイチャンが、ジュージュー音を立て始め、鶏肉の脂に味噌が溶け出しキャベツに絡まる。
「てーまのケイチャンはなあ、赤味噌に独自の調味料を混ぜて仕立てたタレで、丸一日浸け込んだるで、昔と変わらんええ味なんやて。どや、他所のんとは違うやろ?」。
先ほどの爺さんが、まるで我が事のように、赤ら顔で自慢する。
それにしてもまたなんで、まるで萬屋を隠れ蓑にするように、店の奥まった場所にひっそり人目を忍ぶ様な店構えなのか問うて見た。
「そんなもん決まっとろうが。店が表通りに面しとってみい、こんな田舎で真昼間から酒飲んだり、成せぬ仲の二人が逢引きしてみい、すぐに村中で評判になってまうやろ」。
なるほど、ご尤も。

てーまの店内には、昭和半ばの頃のような、屈託ない笑い声と緩やかな時間が、ひっそり流れていた。
てーまの味「ホルモン焼き五石」/郡上市大和町名皿部
*取材時に訪問した店は、平成22年秋に取り壊され、平成23年2月に改築オープンとなりました。
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ケーちゃん・・郡上のソウルフード
美味しいよねぇ!
今は、冷凍で、どこどこのケーちゃんって販売されてるけど
子供の頃、岐阜市内では多分?なかったと思う?
我が家の味付けは・・
味噌にニンニクを入れてキャベツは多めに
醤油も美味しけど、もっぱら味噌仕立て!
あまりの美味しさに、食欲が進むのが良いのか?悪いのか?
食欲に 勝てぬメタボが 気になって
*575で読んで下さい。
白鳥のケーちゃんは特別美味しいって、ぼくも確信している一人です。
落ち武者姫の味付けも、きっと幼い頃のお母様の味の伝承なんでしょうねー。