郡上八幡駅界隈「看板のないパン屋」
「見掛け倒しの、看板倒れになったらかん」。
それが母の、ぼくが子どもの頃の口癖だった。
暑い夏の日、母はいつもシミーズいっちょうで、額には女だてらにタオルの捻り鉢巻き。

いつも鼻歌交じりに、「♪ぼろは着てても こころの錦 どんな花より きれいだぜ♪」と、水前寺清子の「いっぽんどっこの唄」を口ずさんでいたものだ。

そして折りたたみ式のくけ台を座布団で挟み、夜遅くまで内職の縫い物仕事に追われていた。

昭和半ばの時代は、見てくれの良し悪しよりも、そんな心の奥底に潜めた、凛とした気高さや心意気を、尊としとした時代だったのだ。
つまり、中身の伴わない「看板倒れ」の嘘っ八よりも、「ぼろは着ててもこころの錦」である方が、どれだけ潔く人間らしいことか。
母はきっと、そう伝えたかったのであろう。
ところが昭和も終わりを告げる頃には、人心もすっかり狂い始めてしまった。
中身を伴わずとも、こけおどしの誇大表現が踊る看板を掲げ、妖しい商売で荒稼ぎする者がまかり通った狂気の時代。
そんな輩でさえ、時代の寵児とまで崇めたてまつられたのだから始末に終えない。

それに引き替えたら、これほど商売っ気の欠片も感じさせないパン屋は、日本中どこを探したってお目にかかれないだろう。
看板倒れではない。
倒れる看板すら、何処にも掲げられていないのだから。
唯一、この民家がパン屋である証しは、引き戸を開けパンを片手に飛び出してくる、子どもたちの笑顔だけだ。
郡上八幡の町中を南北に流れる小駄良川。

川西の山裾に、昭和半ばの商店がわずかに残る。
その内の一軒が、「平和パン」である。

「そんなとっから覗いとらんと、狭い店やが入ってこやあ。焼き上がったばっかのメロンパン、今並べるで」。
主の加藤昌美さん(88)が手招く。(2011.9.13時点)

すると「焼き立てはまたひと味違うでな」と、妻の千代子さん(86)がすかさず合いの手を入れた。

ついつい何処にも見あたらぬ、看板の訳を問うた。
「そんなもん看板出すなんて、おこがましいでかんわ」と、夫。
「この人は昔っから『他人様を蹴っとばしてでも儲けたる!』っていう気がないんやて」と、傍らで妻が笑った。
「役所に届けたる本当の屋号は三恵堂。でもここが尾崎町だで、ここらあの人は『尾崎パン』とか『平和パン』って、みんな勝手に呼ばっせるわ」。
夫は年代物のガラスショーケースの中に、メロンパンを並べながらつぶやいた。
昌美さんは大正10年、愛知県瀬戸市に誕生。
小学校に入ったばかりの昭和3年、名古屋の鶴舞公園で開かれた御大典奉祝名古屋博覧会で、焼き立てのパンと出逢った。

「テントがずらーっと並んで、大手製パン会社がパンを焼いとったんだて。これがどうにもええ匂いでなあ。そんでも金が無いで買ってまえんかったわ」。
昭和26年、統制が解除された頃、名古屋でパン屋を開業する戦友を訪ねた。
「見学しとるうちに、子どもの頃に見た、鶴舞公園の焼き立てパンを思い出してまって」。
居ても立ってもおられず、瀬戸市の実家へとその足で戻り、平和への願いを込めた「平和パン」を開業。
2年後、現在地へと移った。
「私の実家が、この隣やったんやて」と、妻がまたしても大笑い。
夫婦二人で焼き上げるメロンパンは、今も平和のシンボルとして、町中で愛され続けている。

「今年の7月、今まで病気一つせんかった主人が、脳梗塞で倒れて入院したんやて」。
「まあわしも、平和パンも仕舞かって、町のみんなからえらい心配してまって。そのお陰か、2週間入院したらまた娑婆に戻してまえたって」。
今は週に2~3日だけ、甘いメロンパンのやさしい香りが、ほんわかと郡上の町に漂い出す。
「そうすると向かいの幼稚園から『パン屋のおじいちゃ~ん』って声がして。近所の人らからも『止めんといてや』って言われるもんで、いつまでたってもちっとも死ねんでかんて」。
友白髪の老夫婦は、互いの顔を見合わせ、こね上げたパン生地のようなほっこりした笑顔を交わした。
平和パン/郡上市八幡町尾崎町(2011.9.13時点)
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パンと言えば・・
我が家は岐阜駅南口から歩いて1分
「サカエパン」をこよなく愛して
ここのパンは何を食べてもハズレがありません!
値段は以前に比べて少し値上がりしましたが
それでも世間一般のパン屋さんよりはリーズナブル
皆さん岐阜へ訪れた際は是非とも寄ってみて下さい。
お勧めは「あんぱん」中の餡子が沢山入って重い
後は「焼きそばパン」これ絶対に美味い・・
サカエパンの「あんぱん」は、本当に食べ応えがあって、満足満足って感じですものねーっ。
何と言っても「あんぱん」を手に持った瞬間の重量感は天晴です。
お店の風情、味がありますね。パンも香りが漂ってきそうな面持ち。なにも足さず、なにも引かず、というか昔からあるパン屋さんみたいで、すごく郷愁をおぼえます。オカダさんのお話ではご主人は他界されて、お店はたたまれたとか。ノスタルジーではなくて、ほんとうに行って、パンを買って、食べてみたかった。大げさかもしれませんが、千載の恨事です。
亡くなられたメロンパンのお爺ちゃんはとってもお人好しで、近所の若い奥さんがパンを買い求めお会計を澄まそうとすると、釣銭をオマケして、尚且つメロンパンなんぞそこら辺のパンをゴソゴソっと袋に入れ、「オマケだよ」って渡していたものです。
人情通う尾関町でした。