7月に入ると、みんな夏休みまでを指折り数え出す。
梅雨明けまでには程遠いのに。
それは昭和半ばの小学生時代のこと。
日めくりを繰り、終業式までの残り枚数を数えたものだ。

今の子供たちとは違い、海外旅行やリゾート地への家族旅行など夢のまた夢。
せいぜい近場の海の家へ、日帰りで連れて行ってもらえりゃ御の字だった。

それでも夏休みという、めくるめく響きに恋焦がれたものだ。
しかし終業式当日が迫ると、どうにも憂鬱でしかたない。
出来るならその日が、この世からすっぽりと消えてくれないものだろうか。
本気でそう何度も考えたものだ。
なぜならその日さえ無ければ、出来の悪い通信簿も見られず、両親にも咎め立てされずに済むからだ。

しかしそう都合良く問屋は卸さない。
だから通信簿を受け取ると、母の雷から免れようと、ランドセルの一番下に押し込んでみたり、上履き袋にねじ込んだみたり。
だがその苦労も虚しく、梅雨明けの雷鳴よりも恐ろしい、母の雷が直撃したものだ。

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岐阜市立梅林小学校・・
今はどうか分からないけど
あの当時、通知表は・・
親が見たと言う証拠に印鑑を押す欄があって
当時から悪だった、オイラはこっそり
印鑑の場所を確認して、何食わぬ顔をして印鑑を押す
スリルがあったねぇ!
不思議と何も言われる事もなく新学期が始まったのです。
でもねぇ ❢ 当時は悪だったけど、
今となっては真面目な前期高齢者だよぉ
そいつぁー越後屋の旦那気性が幼いころからしたたかにおありだったんですねぇ。
天晴れ天晴れ!
今年もその調子で、おきばりやす!
通知表が絶対評価でよかったですね。ワシらの頃の通知表は相対評価(1〜5段階評価)でした。苦手な科目は煙突(1)やアヒル(2)がついとって釈明に追われました。ところが、恥ずかしながら、親になったら子供の通知表に煙突やアヒルが有ったら叱っているワシでした。
ブログの中の参考写真は、ぼくの通知表とは異なっており、1〜5段階での評価でした。
もっとも「5」がいただけることなんて、それこそ赤飯ものだったように記憶しています。
まぁ所詮、鳶が鷹を生むなぁんてこたぁ、ぼくの両親だって期待はしていなかったはずですが・・・。