昭和は実に稀な時代である。
64年も一つの元号が続いたのは、大化の改新(645年)以来初。
関東大震災で大正が終わり、昭和に入ると金融恐慌、そして第二次世界大戦へ。
原爆の投下で終戦を迎え、人々は焼け野原の中、餓えに苦しみながらも、平和の訪れを実感した。

昭和39年、東京五輪の開幕と東海道新幹線が開通。

41年にはビートルズが来日し、ミニスカートブームが到来。

45年、大阪万博が開幕。
だがその後、オイルショックが直撃。

しかし60年代に入ると、誰もが泡沫のバブル景気に酔い痴れた。

つい40年前、人が人を平然と殺め合った戦争の惨劇を忘れ。
昭和という天秤秤は、呆れるほどに人々の心を弄び、吉凶、貧富、悲喜と、大きく左右に触れ続けた。
これほど激動に満ちた時代はもう無いであろう。
ぼくは昭和半ばの生まれ。
着る物も食べる物も豊ではなかった。
毎日、棒切れをバット代わりに草野球。

だが今よりもっと輝く明日が、ぼくのポケットには詰め込まれていた。
このブログのコメント欄には、皆様に開示しても良いコメントをドンドンご掲示いただき、またその他のメッセージにつきましては、minoruokadahitoristudio@gmail.comへメールをいただければ幸いです。
ミニスカートか~ぁ!
イイね~~ぇ⤴
男性なら大好きだよねぇ
たださぁ!
今はどうか分からないけど、女子学生のスカート短さ
流石の私、目のやり場に困るんだよ~ぉ⤴
スケベ心に火がついてドキドキする~ぅ♫
今年も残り少ないと言うのに・・
こんな投稿ですみません!
いやいや、さすがに落ち武者殿は枯れませんねーっ。
老いて尚、御盛んで!
何か特別な秘薬でも、マカ不思議なくらいこっそり呑み続けていらっしゃるんじゃ?
東京勤務の頃、ジュリアナ東京が流行ってました。田舎出のオジイをからかい半分で、オフィスのキャピキャピ(古い!)の女の子たちが誘ってくれました。ワシは大都会や喧騒が苦手で必要以外の外出はほとんどしませんでした。熱にうなされていたような首都圏の当時を、この記事を読みながら冬の日差しが射す縁側で回想しています。
バブル時代の絶頂期ですよねーっ。
ダンスのセンスの無いぼくも、どうしても断り切れずディスコに連れてゆかれたことが2度ほどありましたが、ぼくはダンスフロアーから一番離れたテーブル席から離れられず、踊りの輪の中になんてとても飛び込む勇気すらありませんでした。
いずれも今となっては、ただ懐かしいばかりです。
昭和をギュッと凝縮するとこんなカンジですね。
オカダさん、昭和についていろんな切り口で本を書かれてみてはいかがですか?
もしくはラジオで、、、。
待ってます!
こになもン昭和のあの時代が恋しくてならないぼくは、マザコンで昭和コンなのかも知れません。
斯く言うホンモノノ多治見の高木ともふみさんだって、ぼくに負けず劣らずの立派な昭和コンのお一人じゃないですかぁーっ。