「 世界家紀行」⑮

04.8.13中日新聞三河版フジケン連載広告掲載

「窓辺に千金の陽射し」

いったい何処(どこ)までが歩道で、何処からが車道なのか、降りしきる雪が町中を(おお)い尽くす。

「いっそなら、人の心に()(けが)れや(みにく)さも、生まれたての純白な雪の下にすべて(うず)め尽くしてくれ」。

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ロシア中央部のスーズダリで、こじんまりとした家並みに沿って歩きながら、ぼくはちょっとセンチな気分で、誰にともなくそうつぶやいた。

それはそうと、この家いったい何処から入るの?

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歩道側に玄関が見当たらない。

ただ意匠を凝らした飾り窓が続くだけ。

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まさか窓から出入りを?

そんことありえっこない。

それでなくとも、ただでさえ大柄なロシア人。

おまけに冬の寒さに耐えるだけの脂肪を身にまとい、頭の天辺から爪先にかけ、防寒着で膨れあがっているのだから、どうにも適わない。

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不思議な思いを抱きながら、家の外れに差し掛かると、小さな木戸口の奥に北向きの玄関があった。

なあんだ、そっかあ。

雪国の日没は釣瓶(つるべ)落としの如く。

だとすれば太陽の通り道すべてに、窓を作り付ける気持ちもうなづける。

窓辺をよぎる千金の陽射しだからだ。

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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「「 世界家紀行」⑮」への4件のフィードバック

  1. 子供の頃(昭和30年代)
    今でも忘れもしない!
    夜からの雪で通学時、子供の長靴だから
    せいぜい20㎝程ですけど、それを上回る積雪量
    靴下が雪で凍みて来て足先が真っ赤かに・・
    なんでか?それ覚えている。
    子供の頃の記憶って、ホント断片的だけど
    妙に覚えているもんです。
    オカダさんは名古屋育ちの都会っ子だから
    そんな想い出ないでしょう?

    1. ぼくだって同じですよーっ。
      子どもの頃は名古屋でも結構雪の積もった日があって、冬枯れた田んぼの中を、老犬ジョンと駆けたものです。
      爪先の破れた靴下も気にせず!
      だから毎冬、足の指も手の指も霜焼けだらけでしたー!

  2. 30年ほど前、新潟県上越市に単身赴任していました。オカダさんが書いておられるようなコトを僕も思いました。自分の醜さを白い雪で消してくれと。犀潟駅近くの日本海辺り。冬の季節風が吹き荒ぶころ、駅を降り国道8号線を跨いで日本海側に2、3分歩くと、もう海鳴りがしました。一方で、同じ上越市でも高田城辺りは豪雪地帯。交差点の信号機が雪に埋もれる位の降雪を経験しました。転勤でいろんなところに行きましたが、上越市は四季を通して想いが強い街です。

    1. 差し詰め上越市は、神戸町のイカじじい70さんにとって、掛け替えのない第二の故郷なんでしょうねーっ。
      ぼくは新潟市に3度、長岡市に1度、村上町(市になる前の1999年頃)にお邪魔したことがあります。
      ヘギ蕎麦が恋しい限りです。

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