04.8.13中日新聞三河版フジケン連載広告掲載
「窓辺に千金の陽射し」
いったい何処までが歩道で、何処からが車道なのか、降りしきる雪が町中を覆い尽くす。
「いっそなら、人の心に棲む穢れや醜さも、生まれたての純白な雪の下にすべて埋め尽くしてくれ」。

ロシア中央部のスーズダリで、こじんまりとした家並みに沿って歩きながら、ぼくはちょっとセンチな気分で、誰にともなくそうつぶやいた。
それはそうと、この家いったい何処から入るの?

歩道側に玄関が見当たらない。
ただ意匠を凝らした飾り窓が続くだけ。

まさか窓から出入りを?
そんことありえっこない。
それでなくとも、ただでさえ大柄なロシア人。
おまけに冬の寒さに耐えるだけの脂肪を身にまとい、頭の天辺から爪先にかけ、防寒着で膨れあがっているのだから、どうにも適わない。

不思議な思いを抱きながら、家の外れに差し掛かると、小さな木戸口の奥に北向きの玄関があった。
なあんだ、そっかあ。
雪国の日没は釣瓶落としの如く。
だとすれば太陽の通り道すべてに、窓を作り付ける気持ちもうなづける。
窓辺をよぎる千金の陽射しだからだ。
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子供の頃(昭和30年代)
今でも忘れもしない!
夜からの雪で通学時、子供の長靴だから
せいぜい20㎝程ですけど、それを上回る積雪量
靴下が雪で凍みて来て足先が真っ赤かに・・
なんでか?それ覚えている。
子供の頃の記憶って、ホント断片的だけど
妙に覚えているもんです。
オカダさんは名古屋育ちの都会っ子だから
そんな想い出ないでしょう?
ぼくだって同じですよーっ。
子どもの頃は名古屋でも結構雪の積もった日があって、冬枯れた田んぼの中を、老犬ジョンと駆けたものです。
爪先の破れた靴下も気にせず!
だから毎冬、足の指も手の指も霜焼けだらけでしたー!
30年ほど前、新潟県上越市に単身赴任していました。オカダさんが書いておられるようなコトを僕も思いました。自分の醜さを白い雪で消してくれと。犀潟駅近くの日本海辺り。冬の季節風が吹き荒ぶころ、駅を降り国道8号線を跨いで日本海側に2、3分歩くと、もう海鳴りがしました。一方で、同じ上越市でも高田城辺りは豪雪地帯。交差点の信号機が雪に埋もれる位の降雪を経験しました。転勤でいろんなところに行きましたが、上越市は四季を通して想いが強い街です。
差し詰め上越市は、神戸町のイカじじい70さんにとって、掛け替えのない第二の故郷なんでしょうねーっ。
ぼくは新潟市に3度、長岡市に1度、村上町(市になる前の1999年頃)にお邪魔したことがあります。
ヘギ蕎麦が恋しい限りです。