「 世界家紀行」⑪

04.7.16中日新聞三河版フジケン連載広告掲載

「運河に迫り出すテラス」

足踏み式の洗濯に余念のない姉妹。

(うち)の横をゆったりと漂う、チャオプラヤ河にそそぐトンブリ運河。

写真は参考

ここはタイのバンコク。

運が沿いに「クロン(運河)ハウス」と呼ばれる、高床式の木造住宅が(ひしめ)きあう。

写真は参考

この家の特徴は、運河に面した箇所に設けられる居間やテラスだ。

開放的な造りが、運河とここに暮らす人々との、密接で何とも大らかな関係を物語っている。

子どもたちの水浴び。

炊事に洗濯。

写真は参考

運河の川面を夕陽が染める頃、夕涼みの居間やテラスからは、屈託の無い笑い声やら鼻歌が聞こえ出す。

ここでの暮らしは、何もかもが運河の流れと共にある。

運河は永遠の時を悠然と流れゆく。

何処から遣って来て、いったい何処へ行こうというのだ。

人の歓びも哀しみも、みんなみんな呑み干したまま。

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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「「 世界家紀行」⑪」への6件のフィードバック

  1. 揖斐川の畔に住んでいます。子供の頃は、海に憧れ進学先は海に近いところを選びました。社会人になったら日本海にある工場に異動を希望して、じいさんになってようやく叶いました。単身赴任した上越市は夏暑く、冬は海辺は猛烈な海からの季節風が吹くところでした。しかし、小規模ながらも地元に根差した祭りも多く堪能しました。定年後、揖斐川の畔に戻ってきました。揖斐川は昔と様相が一変してしまいました。川遊びをする子供はもはやいません。単なる排水路になってまったように思います。

    1. 川遊びなんて子どもたちにとって、天下無敵の醍醐味溢れる遊びでした。
      ぼくは三重の父方の田舎で、櫛田川の上流の川原で朝から晩まで夏休み中川遊びを楽しんだものです。

  2. バンコクって
    映画「ミッション・インポッシブル」「007・・」
    結構、撮影で使われるけど
    なにか?訳あるんやろうか?
    この二つの映画は全て観ています。
    苦労しながら悪者と戦って最後は正義が勝!
    単純で安心して観ていられるからねぇ!
    「弱気を助け、強きを挫く」
    私なんて「タケちゃんマン」と一緒で・・
    「強気を助け、弱気を挫く」だもんねぇ!

    1. 勧善懲悪のアクション映画は、ハラハラドキドキしながらも、心のどこかで安心して見ている冷静な自分に気付いたりして、それなりに楽しめますものねーっ。
      しかしトム・クルーズは永遠にカッコいいですねぇ。

  3. ここでの暮らし何もかもが 運河の流れと共にある…
    日本国内でも そういう場所(暮らし)ってありますよね⁈
    生まれた時から目の前に広がる風景や暮らし。
    山や川や海や空は こちらの成長を見守っててくれるわけで。こちらもごく自然に目にし 時には願ったり感謝したり微笑んだり( ◠‿◠ )
    今の私にとって 時には足を運んで触れてみなきゃいけない世界のような気がします。

    1. 人それぞれ、脳裏に刻み込まれた、故郷の原風景なんでしょうねぇ。
      ああ、ぼくも旅に出たくて仕方ありません。

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