04.7.9中日新聞三河版フジケン連載広告掲載
「ウエスタンサモアの開けっ広げな家」
何とも大らか。
まるで人を一度も疑ったことなど無いような、そんな人たちが暮らすウエスタンサモア。
ファレと呼ばれる家の四方は、がら空きで無防備この上ない。

床一面には、ココナツの葉を編んだ敷物が畳代わりをつとめる。
ひと間限りのがらんとした家。
ある時は家族団欒の食堂に。
またある時は、家族が車座でくつろぐ居間へと早変わり。

夜も更ければ蚊帳をつり、いつしか満天の星空を透かし見る大パノラマの寝間となる。
信仰心の厚いこの国の人々は、家族皆で聖書を読んで賛美歌を歌い朝を迎え、日が西に傾けば、また賛美歌を歌って一日を送る。
「幸せって?」。
想わずそんな言葉が口をついた。

塾だ習い事だと、団欒と引き換えに、慌しく時間に追われる日本の子どもたち。
それに引き換え昭和のぼくらの夏は、真っ黒な日焼けの顔が勲章だった。
宿題なんてそっちのけ。
晩ご飯まで駆けずり回り、「またっ、カラスの行水!」と叱られ、蚊帳に逃げ込んだ。
母の布団の残り香は、いつもやさしい匂いがした。
ぼくらの夏は、もう二度とやっては来ない。
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古き良き時代、昭和30年代
借家住まいの我が家も夜寝る時以外は
日中「カギ」なんて掛けた事なかった。
物騒だなんて思った事がなかったけどねぇ!
貧乏暮らしだから、
泥棒が入っても持って行く物なんて無かったし!
逆に泥棒が気の毒がって何か?置いて行く・・
そのくらい家に何もなかった。
贅沢って、上見りゃキリがないもんねぇ!
なんせもう、そろそろ終活を考える時期に入りましたし、これと言って欲しくて欲しくてしょうがないものなんて見当たりません。
しいて言うならば、もう一度職人さんを訪ねながら、全国各地を取材して周りたい位なものです。
それとか各地の伝統やら風俗を訪ねたりってぇのも魅力的です。
もちろんその土地土地の食べ物やら、銘酒なんぞを探したり・・・。
夢のまた夢ですが!
サモアの民は、たとえ寿命が短くても、しあわせなのではないでしょうか。オジイになってもやれ年金だ、サプリだ、やれ病院だ、などと言ってないのでしょうね。けだし、オカダさんの幼少時代はサモア時間が流れとったような気がします。
ポリネシアやらメラネシアとか、そんな太平洋に浮かぶ小さな島国の人々は、概して大らかでぼくの育った昭和半ばの人間関係が息衝いていますから、ついつい郷愁を感じちゃうものです。
でも温暖化の影響で、ナウルやキリバス、それにツバルとかは、水没の危険性が高まってしまい、心痛い思いがしちゃいます。
ブログを読んでると 時々 タイムスリップしたかのようにその当時の喜怒哀楽いろんな感情が蘇り これまた良くも悪くも現在の場所での感情と交差したり…。
何かのカウンセリング?って後から笑える時も。
私の小学生から短大生までの夏… 思い出しては笑ったりニヤついたり ここに書くと長くなるからまたの機会とさせて頂きますが 意外と鮮明に覚えているものです(笑)
全てもう経験出来ないんだなぁ〜。
もう戻れないもどかしさが、より一層思い出の鮮明化を進めているんじゃないでしょうかねぇ。
嫌な思い出は心の奥底に封じ込め、素晴らしい思い出だけに囲まれて生きて行けばいいんじゃないのかなぁ。
もうきっとこれまでの時間よりも、確実に未来の残り時間は少なくなっちゃってるんだし。
青い空に惹かれて
いつぞや 百均で購入した世界地図を広げ
オセアニア州あたりを眺めています。
こんなにも楽しい見方があったんですね。
と思いながら小学生の頃に「青い青い椰子の実 サモアの島楽しい島よ〜」やったかなぁ〜聴いてみよっととyoutubeで聴いてみたら 大瀧詠一さんの曲になって 次は なんとオカダさんの曲になったので 大満足です。
ありがとうございます。おやすみなさい。
大瀧詠一さんの曲とぼくの曲では、大きな大きな開きがあって、大瀧詠一さんにとっても申し訳ない気がしちゃいます。
でもありがとうございます。