「大須今昔、流行りもの図鑑」
「吉例 大須師走歌舞伎 スーパー一座公演」
やって来ました大須の師走。
1988年に大須演芸場を舞台に封切られた、スーパー一座の「大須師走歌舞伎」も16回目を数える。

入口の捥ぎりを通り抜け、予約した弁当を受け取りワンカップ酒を買い求める。
何とも狭く居心地の悪い桟敷に座し、小さな座布団一枚の領土で身悶え、弁当突ついてコップ酒煽り、ひたすら緞帳が上がるのを待つ。
なあに、コップが空になる頃には、居心地の悪さとも慣れ親しみ、昭和の賑やかなお茶の間に戻っている自分に気付くから不思議だ。

今年の演目は「二人吉三恋半鐘」。
八百屋お七の世話物と相成りまして候。

「難しいものが『歌舞伎』と思ったらかん。石投げの見栄なんて、ウルトラマンの『シュワッチ』とおんなじ。自然体で演じるものが見栄になるんだわ」。
スーパー一座・原智彦座長(57)は、稽古場のソファーから身を乗り出した。
24歳の原さんは、中電の社員でありながら、愛知県美術館に「美術館のゴミ」と題したゴミの作品を出展。
全国ネットのニュースになるほど物議を呼んだ事件となった。
「『なんだあ、こりゃあ!』って、大声張り上げて岩田さんが叫んどったんだわ」。
それが、同一座の台本・演出を一手に手掛ける岩田信市さんとの、初めての出逢いだった。
直ぐに二人は意気投合。
翌年に原さんは中電を辞し、インド放浪の旅を続けた。
「物質文明への疑問を感じたんだろうな。インドには子供の頃の原風景があった」。
それから3年後に結婚。
「出来ちゃった婚ってやつ。でも俺はそれが、夫婦の最も正しい結婚だと思っとる」。
豪快に言い放った。
その後原一家は大須に居を移し、1978年大道町人祭の火付け役となった。
そしてついに翌年、スーパー一座が結成された。
大須新歌舞伎座を根城のように育った、妥協を許さぬ芝居通人・岩田信市と、その岩田が最も心を許した異端児・原智彦とのコラボレーションに、ロンドンの若者たちも度肝を抜かれヨーロッパが喝采を上げた。
「岩田さんは、子供の頃から歌舞伎小屋通いしとったでええけど。俺は素人だったで、勧進帳のレコード聴きまくって台詞覚えたもんだわ」。
原さんが衣装棚を眼で追った。

「あの頃の大須には、鬘屋もあったし衣装屋もあった。それに舞台メイクの化粧品屋もあるし。まあ、江戸時代の大須が呼んだんかな。俺を」。
原さんの今年の役柄は、少々滑稽な悪坊主の弁秀。
剃髪したピカピカの頭を撫でながら、懐かしそうにつぶやいた。
(12月5日~23日/大須演芸場)
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歌舞伎・・
一度も観た事がありません。
なんか?敷居が高くて・・
歌舞伎よりオカダさんのライブの方がイイねぇ❢
歌舞伎は定例で開催されるけど
オカダさんのライブは全く開催される予想が付かないから
ある意味「プラチナチケット」かもねぇ!
ぼくのLiveのチケットは、「プラチナチケット」なんてたいそうなモノじゃなくって、「ふらちなチケット」ですって!