毎日新聞「くりぱる」2003.11.30大須特集号⑤

「大須今昔、流行りもの図鑑」

「日出神社の朝市」

「あんたあ、これこれ、これ持ってきゃあ。採れたてのシャキシャキだで」。

写真は参考

T.O子さん(72)は、小さな境内を野菜片手に駆け回る。

毎月5と10の日に市が立つ。

二代目のY.Oさんは、無農薬で丹精込めて育てた、旬の野菜をトラック一杯に積み込み、18歳の時から両親と共にここに通う。

写真は参考

「わしが漬けたんだで、これ喰うてみい」と、T子婆さんがラッキョウの漬物を差し出した。

口の中で甘酸っぱさが弾け、懐かしいおふくろの香が漂った。

日出神社朝市 大須2丁目(2003.11.30時点)

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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「毎日新聞「くりぱる」2003.11.30大須特集号⑤」への8件のフィードバック

  1. 20年近く前には、大須はこんなに庶民的な街だったのですね。私はかつて、広島市に出張で宇品海岸に投宿した翌朝、おばちゃんたちが、瀬戸内海で取れた魚、特に鰯を乳母車に載せて行商していた景色を思い出しました。こういう姿にホッコリした気分になりました。

    1. 行商のお婆ちゃんの姿なんて、もうとんとお目に掛れなくなっちゃいましたものね。
      子どもの頃の紛れも無い、父や母と一緒に暮らした心の原風景のようです。

  2. 子供の頃・・(昭和の時代)
    記憶は定かではありませんが
    岐阜市真砂町辺りで
    「夜市」をやっていた覚えがあるんですが
    結構な人だかりだったと思います。
    まぁ⤴香港の「九龍の夜市」のように夜店がいっぱい立ち並ぶ
    なんて事はありません。
    岐阜人らしく、こじんまりした感じでした。

    1. ぼくも伊奈波神社の参道で細々と開かれていた夜市に、取材でお邪魔したことがあります。
      お爺ちゃんが自身で作ったというもぎたての野菜を販売されていました。
      何だかホッコリさせられたものです。

  3. 朝市に立ち寄った経験は そんなに多くないけど 購入する楽しみや一店一店見てまわるワクワク感以外に 帰る頃には 荷物の重さプラス元気さが満タンになってるんですよね〜( ◠‿◠ )
    きっと 声を張って呼び込みをしてる店主さん達のパワーなんでしょうね。

    1. 対面販売ならではのコミュニケーションですねぇ。
      商品は変わらなくても、売り子の一言に絆され、ついつい財布の紐も緩んじゃうんでしょうねぇ。

  4. 大垣市の新大橋の水門川沿いにテントを張りめぐらした、露店がたくさん並んでいました。私は母親のお供でここをよく訪れました。おぼろ昆布や漬物をよく買ったものでした。思い出すのは、おぼろ昆布の酸っぱい匂いとダークグレーの露店のテント生地であります。露店は半世紀前には消えてまったようです。失ったものの温かさ、その存在感の質感を今になって感じるばかりです。

    1. 戻れない郷愁だからこそ、尊いものなんじゃないでしょうか?
      でも不思議なくらい五感は、当時の記憶の断片を克明に覚えているように思えます。

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