「素描漫遊譚」
「有松界隈」
パッパーッ!パッパーッ!
名古屋市緑区有松町。
江戸時代の町家が続く旧東海道。

いつもの如くノートとカメラを片手に、あっちをキョロキョロ、こっちをキョロキョロ。
すると突然後ろから、けたたましいクラクション。
『ソコノケソコノケ御馬が通る』なんて、悠長な気分をぶち破るように、ぼくのすぐ脇を立派そうな車が、勢いよく走り去って行った。
途端に気分は、江戸時代から現代へと引き摺り戻された。
それにしても、漆喰の海鼠壁といい、駒寄せもいい感じ。
卯建と虫籠窓に土蔵。
まるで京都の町家のようだ。
絞りの産地として栄え、東海道を行き来する人々でさぞや賑ったことだろう。

有松鳴海絞会館の入口。
小さな看板に絞り実演の案内が。
さっそく2階へ。
絞りを展示する会場の入口脇で、二人の老婆が並んで背を丸め、せっせと指先を動かし続けている。

「私ら子供時分は百姓が暇だと、内職仕事に小学校上がると絞りを手伝わされとったんだて」。
手蜘蛛絞を実演しながら、鳴海に住む本間とめ子さん(84)が顔を上げた。
「わしゃあオカチメンコだで、27歳まで売れ残っとったんだわ。おとっつあんが嫁に貰ってくれるまで、ズ~ッと娘時代も絞りばっかだわさ」。
「メイセン台」と呼ぶ、50㌢ほどの竹棹の先に20㌢ほどの針が取り付けられ、針先に生地を引っかけ糸で絞り上げる。
「一つ絞るのに何回糸を巻くか決ってるの?」。
「そんなもんおみゃあさん、適当だわさ。こうやって話もってやっとんだで」。
確かに!
「これを染めて広げてみぃ。ホレッ、蜘蛛の巣みてゃーだろ」。
それで手蜘蛛絞とは、何ともわかりやすい。

「そんなもん図案なんてあれせんて。み~んな、ここんとこに入れとかんとかんで」。
そう言いながら、とめチャンはおでこを指先で小突いた。
「もう今では職人も50人足らず。これなんか一反絞るのに2ヶ月かかるでねぇ」。
突き出し鹿の子絞の手を止め、傍らで豊明市に住む中島鈴枝さん(85)がやさしそうに笑った。
「本当はお嫁さんにやって欲しいんだけど『お婆ちゃんを見とるだけで肩が凝るで嫌だ』って」。
鈴江チャンは諦め顔。
「そりゃあそうだて。肩も腰もえりゃあし、工賃はやっすいし!」。
とめチャンの大声。
慌てて鈴江チャンが階下を気にする。
「聞こえたってええって!本当のことだで」。
二人して顔を見合わせ大笑い。
「こうやってここで一日憂さ晴らして、弁当食べてお茶飲んで」。
「まあえりゃあけど、そんでも幸せだて」。
二人の老婆はこうして70有余年、喜怒哀楽を一本の細い糸に託し、コツコツと今日も生地を絞り続ける。
有松・鳴海絞会館 名古屋市緑区有松町橋東南
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絞り染ためって・・
兄貴が中学校の時に技術の授業で
染める液体だったか粉だったかを貰って来て
タコ紐の巻き方を変えて・・
家でTシャツを染めた事が思い出されます。
何か?家中。酸っぱい匂いが漂って臭かった。
けど、我ながら綺麗に染まった。
それを着て友達の家に遊びに行った時
その友人も同じような「絞り染めTシャツ」を着ていた。
それ以来、Tシャツはタンスの奥深く・・
なかなかやるじゃないですかぁ!
絞り染の体験学習ですかぁ!
ぼくはそんな授業、なかったような???
幸せな人生と思いながら 作って頂いた有松絞りを身につけるができるなんて それこそ幸せですよね。
手仕事だからこそ伝わる温もりなんでしょうね。
そうですよね。
今年は 絞り風の浴衣を勧められたので持っていた事を思い出して高校生の時の浴衣を着てみました。なんとゆう こうとい浴衣を着ていたのでしょう。
そうかーっ、浴衣の柄はそんなに流行り廃りを気にしなくたってよさそうですものねーっ!
それにしても高校時代の浴衣を大切に仕舞っておられたのですねーっ!
内職で最近気になるのが、数年前から新聞折り込みに、栗の皮むき作業の短期内職募集のチラシが入っているのです。毎年、気になって手に取るものの「いやぁ〜、無理だよねぇ!!我が家の分で精一杯」
キロ550円だって❣
そのような内職ってぇのもあるもんなんですねぇ。
家のお母ちゃんもぼくが中学を卒業するまでの間は、なんだかんだと内職をやりながら、ぼくの面倒を見てくれていたものでした。
紳士服の縫製やら、ゴム製品のバリ取りなど。
今更ながら母のありがたみを感じます。