「素描漫遊譚」
「神岡町の遠い日の残像」
今回の「素描漫遊譚」は、待ち遠しい春の北上で身も心もウキウキ気分、そんな岐阜県飛騨市神岡町が舞台。
四方を飛騨の山々に囲まれた、静かでこじんまりとした山あいの町。

道行く人の人懐っこく穏かな表情には、擦れ違い様に人を威嚇したり、人を疑わしそうに訝る姿など微塵も見られない。
人が人らしくあるためには、必要最低限の心の距離が必要だ。
それが実現出来るのは、小さな町の特権なのかも知れない。
ぼくは30年ほど前に、本紙「巷間日記」でお馴染みの水谷ミミさんと出逢った。
今から27~28年前、ミミさんはCBCラジオやテレビで大活躍中の、超売れっ子タレント。
数多のレギュラー番組の一つに、「今夜もシャララ」と言う深夜の人気ラジオ番組があり、何故かぼくもレギュラーの端役として出演させていただいていた。
理由は、ラジオ的に「通りの良い声」だったからとか。
ぼくの担当は「電話でデート」というコーナー。
リスナーと電話をつないで短いラジオドラマを演じた。
リスナーである女子中高生が主演女優で、ぼくが演じる男優と恋のロマンスを演じる筋書き。
そこにミミさんが横恋慕して割って入り、二人の淡いラブロマンスを引っ掻き回す。
ラストシーンはいつも、ミミさんが男優を略奪し、何時しか主演女優と入れ代わってしまう。
ラジオ版吉本新喜劇風の支離滅裂でドタバタ。
それでもってミミさん本意のストーリーに、仕立て上げなければ許されるものではなかった。
ぼくは稚拙なシナリオをしたため、毎週本番4時間前にスタジオ入り。
主演女優を演じる女子中高生に電話をし、ドラマの台詞を書き取ってもらう。
当時はまだ、家庭にファックスが普及しておらず、そりゃあもう大騒ぎだった。
それが終わると、超売れっ子タレントさんだけを除き、女子中高生とぼくとが電話越しに入念なリハーサルを繰り返し、本番1時間ほど前にミミさんを交え最後のリハーサルへと続いた。
ある放送日のことだった。
夜の7時頃にCBCの玄関をくぐると「岡田さんですよねぇ。ファンの方が・・・」と、守衛さんに呼び止められた。
「いつもコンシャラ聴いてます。これっ」。
セーラー服姿の女子中学生が、守衛さんの後ろから現われ、照れ臭そうに小さな紙袋と可愛らしい封筒の手紙を差し出した。
「あっ・・・ありがとう」。
ぼくなんかのファンだなんて言って、心細げに放送局で待ち続けてくれる娘がいるなんて思いも拠らず、こちらの方がしどろもどろとして赤面する始末。
「じゃあ、これからも頑張ってください」。
彼女はペコリと頭を下げ夜の雑踏へ。
ぼくは意外な展開に緊張し、満足に話しさえ出来なかった。
スタジオのリハーサル室にこもりこっそり紙袋を開けると、フエルトで手縫いされた小さな人形が。
手紙によれば、ぼくの声から想像したマスコットだとか。
『修学旅行で名古屋に行くので、勇気を出してCBCを訪問する』とあった。裏面には、岐阜県吉城郡神岡町(現/飛騨市神岡町)・・・と、几帳面に丁寧な丸文字が。
残念ながら当時のぼくは、神岡町がこんなに名古屋から遠く離れた町だったことを知らなかった。

今回の取材で初めて気付いた。
そう、あの手紙から四半世紀以上を経てから。
あの日彼女はどんな思いで、小さな人形をわざわざ届けてくれたのだろうか?
どうしてもっと、話を聞いてあげられなかったのだろう?
こんなに遠くの町から来てくれたことに、何でもっと早く気付かなかったのだろうか?
そして今は、幸せだろうか?
さあ、ぼくは愚かな若気の至りを心で侘びつつ、神岡の美しい町並みに彼女の面影を探しながら、のんびりゆっくり漫ろ歩いてまいります。
このブログのコメント欄には、皆様に開示しても良いコメントをドンドンご掲示いただき、またその他のメッセージにつきましては、minoruokadahitoristudio@gmail.comへメールをいただければ幸いです。
オカダさんの緊張している顔
皆さん見たかったよねぇ
女子高校生も勇気を出しましたねぇ ❢
キッと女子高校生の良い想い出になっている事でしょう ❢
オカダさん・・改めて、やっぱファンは大事にしないとねぇ
いつか、その女子高生と会えるとイイねぇ ❢
そうんなですよねぇ。
でもまさか、そんな遠くの神岡から、ぼくなんかに逢いに来てくださるなんて!
きっと今は、幸せな家庭を築かれ、たくさんのお孫ちゃんに囲まれ、幸せにお暮しの事と思います。
そうそう、オカダさんのトークの声も、包み込んでくれるようで癒やされるんだよねぇ⤴️って、いつ聞けるのでしょうかねぇ(*˘︶˘*).。.:*♡
果たしていつそんな夢物語が巡りくることやら!
でも何かを始めたくって、実はうずうずしています!
ブログでオカダさんに教えて頂いた ラジオ放送の話し声 素敵でしたもんね。
いやいやーっ!
お恥かしい限りです!
かつての女子中学生も四半世紀の年月によって、どうなっているのか。面影の中では、中学生のまま。そのように想像をふくらませるのは、ぼくも好きです。オカダさんの声が聴きたいと、ぼくも思います。
想い出も故郷も、遠くにあるほど恋しいものかも知れませんねぇ。