「素描漫遊譚」
「マラソン校長」
勉強したいわけでもなく、皆がただそうするからって感じで、他に然したる理由もなく、ぼくは高校へと通った。
しかもそれは、ぼくの学力ではたぶん無理であろうと思われた高校の、合格発表の日を境にそうなってしまった。
中学校の出席順でぼくの一つ前だった、「オ」より前の「イ」君。
ぼくより彼は優秀だった。
にも関わらず、私立も公立も志望校が同じ。
高校の受験番号表も一番違い。
合格発表板を前に、肩を落す彼。

「エエッ!そんな馬鹿な!」と、意外な結末にぼくも驚いた。
もしかしたら、受験票が取り違えられたのかなあ?
彼が落ちるはずなどないと、信じられない想いで一杯になったからだ。
番狂わせで、入学してしまった高校。
その想いから逃れることなど出来なかった。
学校からすれば、考え方も生き方も型破りだったぼくは、迷惑極まりない存在だったのだろう。
成績も良くなく、学校の規範には背く。
ぼくは母と共に、何度と無く校長室に招かれた。

校長からすれば、招かざる客だったかも。
そんなぼくの高校の校長は、マラソン好きな校長として、ちょっとは名の知れた存在だった。
ある日、交通機関が一斉にストライキを決行。
いや、或いは始発ギリギリで回避した時だったか。
校長の自宅から学校までは、ゆうに30㌔はあろうかという距離を、朝4時に自宅を出て、学校までトイレットペーパー片手に走りぬいたのだ。

当然朝礼時には、ジャージ姿のまま立ち、身体から湯気が噴きだしていたように想う。
校長は朝礼の中で、自らの精神力を誇らしげに語った。

中でも圧巻は、途中で催すであろう便意を見越し、トイレットペーパーを携帯。
誰もいない真っ暗な大地で、見事本懐を遂げたとか。
しかし待てよ。聖職者の長たる校長が、野糞を野良犬のように放置したんだろうか?
まさか愛犬家のように、新聞紙に包んだ糞を、スーパーの袋に詰めてブラブラさせながら、学校へと走り続けたとは到底考えられない。
ならば、その残骸はいったい?
ぼくは校長の美談の中に、不審な陰りを見出し独りごちていたように想う。
それから数年後。
小さな駅の片隅にあった、も一つ小さな居酒屋のカウンターで、ぼくは校長と偶然再会した。

「あっ、校長先生!」。
と言っても、何千人という教え子と接して来られたことだから、どうせぼくのことなど想い出すわけなんかないって、そう自分に言い聞かせ軽くご挨拶をした。
「おおっ、岡田か?」。
エエッ、そんな馬鹿な?
「久しぶりだなあ。ちょっと大人になったなあ」と、追い討ち。
何でも校長生活の中で、ぼくほど校長室を訪問した生徒は、後にも先にもなかったとか。
それは決して良い意味ではないが、ぼくが忘れられない存在だったのだろう。
酔う事しきり。
校長に酌をさせたことに、妙な快感を感じた。
しかし御代は、きっちり割り勘だった気がする。
でも結局最後の最後まで、喉につかえて出し損なった質問があった。
そう、野糞の処理だ。
本当の所は結局わからず仕舞い。
でもそんなことを問いただしたところで、真実を得たところで、ぼくの人生が何か劇的に変わるものではない。
所詮、知らないから良いこともある。
そう想うと、何だかものすごく爽快な気分になった。

冬の凍てた空に、ただオリオンの光だけが勇壮に輝いていた。
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やはり、オカダさんは・・
単なる「しがない物書きのシンガーソングライター」では、なかった ❢
普通以上に 賢かったんですねぇ!
まぁ~⤴考えてみれば・・
普通の人では「本」など発刊出来ないもんねぇ ❢
私なんぞ!絶対無理!
アホだから賢い振りするの大変!
えっ?アホな事は分かっていた。
そうだわな~ぁ⤴この文面見れば分かるわな~ぁ⤴
けどねぇ!何と言われようと
オカダさんと唯一のコミニュケーションを図れる場ですから ねぇ!
皆さんも、相手には「言葉、文面」にして気持ちを伝えましょう
アカ~ン⤴も~ぉ⤴一年に一回のエエ事言ってまった。
ぼくなんて子どもの頃から作文なんて台の苦手だったのに・・・。
いつのまにやら、しがない物書きなんかやっちゃってるんですから、人生なんてつくづく分からないものですよねぇ。
お母さんと共に校長室に呼び出しだなんて学生の頃はヤンチャだったんですねぇ。今ならあの頃の自分になんて言ってあげたい?私は、結婚前の自分に忠告したいわぁ(~_~;)
タラレバ、は何も野球の世界の事だけじゃないですよねぇ。
物心ついた頃から、あの世に召されるその瞬間まで、常に二者択一の道、それが人の道なんですよねぇ。