毎日新聞「くりぱる」2004.10.31特集掲載③

素描(スケッチ)漫遊(まんゆう)(たん)

「ナゴヤドーム界隈」

今回の「素描(スケッチ)漫遊(まんゆう)(たん)」は、「日米野球」を控えるナゴヤドーム界隈へ。

ナゴヤドームへと続く北区大曽根界隈と、東区大幸町界隈を流離い、間も無く幕が切って落とされる、日米野球の球宴に想いを馳せた。

今年はどんなスーパープレーや、どんなドラマが待ち受けているというのか?

まさに昭和の真っ只中で生まれたぼくは、何人たりとも漏れなく「巨人、大鵬、卵焼き」で育ったと言っても過言ではないだろう。

写真は参考

満足にグローブも買ってもらえなかった少年時代。

ぼくらは、ハンドテニス用のものすごく柔らかな軟球を使って、毎日毎日明けても暮れても、草野球にこうじた。

と、言っても、近所の野球少年は18人も揃うわけでもなく、3塁を取り除いた2塁までの手抜きスタジアムだった。

ぼくらは二等辺三角形をダイヤモンドに見立て、来る日も来る日も、王や長嶋を真似た。

ゴムゾオリのスパイクに、ランニングシャツと半ズボンのユニフォーム。

汗染みで塩を拭き、茶色く変色した野球帽を被って、ランドセルを放り出せばすぐに、プレーボールとなった。

ぼくんちよりちょっと裕福なお好み焼屋のトシクンは、唯一仲間の中で木製のバットを持っていた。

写真は参考

だから彼なしでは、野球らしくないのだ。

彼が風邪でもこじらせた日は、まさかバットだけ借りにゆくこともままならず、荒れ寺から拾ってきた太目の木の枝が、臨時のバットに変わるありさま。

ひ弱で華奢な、運動音痴のトシクンだったが、打順はいつも3番。

何故ならトシクンは長嶋の大ファンだったからだ。

だからぼくらは、バット持参でやってきてくれるトシクンを尊重し、彼が試合に貢献するしないに関わらず、不動の3番バッターに挿げた。

試合が始まると、ぼくらはいつでも前夜のスター選手や、春夏甲子園を沸かせた高校球児に早代わり。

すっかりその気になって、石ころだらけの公園を駆け回った。

ある日、隣町のチームから試合のお誘いが。

決戦の場所は、風呂屋の向うのサッポロ球場。

公園の隣の酒屋に、サッポロビールと書かれた看板が掲げられており、いつしか誰ともなくそう呼んだ。

写真は参考

いよいよぼくの打席が回ってきた。

前夜満塁ホームランを放った王選手をイメージして、トシクンのバットを振りぬいた。

ポーンという柔らかな音を放ち、ボールは外野手の頭上を越え、場外のキャベツ畑へと消えた。

快心の一打のはずだった。

しかしそこで敢無く試合中断。

なぜならボールは後にも先にもその一個限り。

両チームで仲良く、陽が暮れるまでキャベツ畑を行ったり来たり。

写真は参考

激的なホームランを放った喜びなど消え去り、ただ罪の意識で気まずい想い。

たしかぼくは、なけなしの小遣いを叩き、ボールを弁償した気がする。

それからしばらく後のこと。

子ども会の役員だった母が、農家からどっさりキャベツを貰い受けてきた。

虫食いだらけの大きな葉が、スーパーで売られている状態の、キャベツの外側を幾重にも取り巻いている。

「ウワーッ!」。

素っ頓狂な母の声。

どうせ大きな青虫でもついていたのかと、ぼくも段ボール箱一杯のキャベツの山を覗いてこれまた仰天。

何と、あの日のホームランボールが、キャベツの虫食いだらけの葉に埋もれ、情けなさそうに薄汚れた顔をのぞかせていたからだ。

さあそれでは、日米野球の火蓋が切って落とされる、ナゴヤドーム界隈を、一足お先にのんびりと漫ろ歩いてまいりましょう。

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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「毎日新聞「くりぱる」2004.10.31特集掲載③」への8件のフィードバック

  1. 私の子供時代は、スポーツ少年団なんてなかったから
    少年野球チームは勿論なかった。
    私のウォーキングコースに聖徳学園大学の野球部のグランドがあります。
    たまに・・
    そのグランドを借りて硬式少年野球クラブが試合をしたり練習をしています。
    それを見ていると、あ~~ぁ⤴硬式野球やりたかったな~ぁ⤴
    と、思います。
    今度、生まれ変わった時には、多分?
    ジャイアンツの3番か?4番に?・・
    なんてぇ ❢夢のまた夢を見た事があります。

    1. ほぐも王選手や長嶋選手に憧れたものでしたねぇ。
      少年ジャンプの懸賞でジャイアンツのユニホームが当たるってぇのがあって、なけなしの小遣いで買ったハガキで応募したものです。
      もちろんナシの礫でしたが!

  2. 今や、バンテリンドーム名古屋❢
    ナゴヤドーム時代、野球も見に行った事はありますが、LIVEも色々行ったなぁ。SMAP、ドリカム、小田和正♪♪♪
    でもね、大きい会場ほどトイレが大変なんだよねぇ(¯―¯٥)

    1. そうそう!
      トイレの行列は辟易としちゃいますよねぇ。
      どうしてもプッハァ~と調子に乗ると、トイレが近くなっちゃいますし!

  3. ナゴヤドーム 山の国から久々に出かけた時はドキドキして出かけた事を思い出します。
    球場名が変わると もう覚えるのも大変になってくるので困ります。

    昨日 筍を頂いたのでアク抜き(ぬか付きで助かります)をして 今朝はちょっとだけ早起きをして 何も一緒に煮るものがなくて冷凍庫を見たら散歩の途中で見かけた里芋一袋100円を冷凍しといてよかったと思いながら煮てみました。 

  4. 同級生で草野球チームがあって時々出ますが、正直、野球は得意ではないです!8番ライトです。
    でも、穴をあけるわけにもいかないので休みの日にはバッティングセンターへ行ってます、、、。
    あと、コロナ前はナゴヤ球場へ2軍の試合を見に行ってました。こないだホームページを見たら当日券販売がなくなり、ネット予約販売のみに。ちょっと行きにくくなったなあー。すぐ近くで選手が見られるので良かったのに!

    1. 子どもの頃、ナゴヤ球場へ試合が5回に入ると、自転車で友達と通ったことがありました。
      確か7回を回ると、外野席にただで入れたからです。

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