「素描漫遊譚」
「沢村栄治の恋女房」
さあいよいよ日米野球の開幕だ~っ!
今年は日米球界も、様々な話題に満ち溢れていた。
それだけに、今回の日米野球には、また格別の趣がある。
今でこそイチローやゴジラ松井の活躍で、日米の野球技術の差はそれほど驚きを感じるものではなくなった。
しかし今から70年前の昭和9年に、二度目の来日を果した、ベーブ・ルースやルー・ゲーリックという名立たる大リーガーを率いる、全米オールスターチーム。

対するは、日本プロ野球が産声を上げる2年前、東京六大学の選手らで構成された全日本軍。
全国を転戦し、全米軍が18試合を全勝。
しかし唯一、静岡県草薙球場で迎えた第10戦。
全日本軍は0対1で惜敗したものの、全米軍相手に6回まで、ベーブ・ルースの1安打だけに押える好投を見せた少年がいた。
三重県伊勢市出身、京都商業中退の沢村栄治17歳だった。

左足を高く跳ね上げ、豪快なフォームで繰り出す160㌔を超えるといわれた剛速球と、三段に落ちるカーブで、大リーガーから見事9つの三振を奪取。
しかし7回、ルー・ゲーリックが沢村のカーブの曲がり端を叩き、ライトスタンドに本塁打を浴び、奇しくも1点の僅差で全米軍が面目を保った。
翌年沢村は、日本初のプロ野球チーム「大日本東京野球倶楽部(後の巨人軍)」入り。
しかし対戦相手となるプロ球団は、まだ国内に誕生しておらず、米国遠征の途へ。
128日間で109試合をこなし、75勝を上げた。
剛速球と三段に落ちるカーブを武器に、沢村は三振の山を築いていった。
そんな沢村に、大リーグはピッツバーグ・パイレーツのスカウトが注目。
サインを求めるファンを装い、大リーグ入りの契約書を差し出したとか。
寸でのところで同行者が気付き、沢村にサインを拒否させたとも。
しかし今想えば、その時もし沢村が知らぬとは言えサインをしていたら・・・。
その10年後の昭和19年(1944)12月2日、3度目の出征でフィリピンに向かう、沢村を載せた軍艦が、台湾沖で米艦隊の魚雷で撃沈。
沢村が浴びた、最後のデッドボールとなった。
「『栄ちゃんの球は、きっついもんで、痛とて痛とて言葉で言えんくらいや』って、たまに想い出しては、この子らによう話して聞かせよった」。

三重県伊勢市の山口ふ志子さん(78)は、壁に掲げられた夫の遺影に眼をやった。
満面の笑みを浮かべる遺影の主は、京都商業で沢村栄治とバッテリーを組んだ、故・山口千万石さんだ。

沢村が冒頭の日米野球で活躍する寸前まで、沢村の剛球を左手でしっかと受け止め続けた。
大日本東京野球倶楽部は、沢村の恋女房でもある千万石さんにもプロ入りを勧めたが、祖父が頑として許可せずプロ入りを断念。
別々の道へと。
千万石さんは高校を卒業後、大丸デパートに勤務し、後に満州へと渡った。
昭和24年(1949)、シベリア抑留から解放され帰国。
大日本紡績(現ユニチカ)へ入社。
「最初は野暮ったくて、嫌味な感じの人やった。私も引揚者やっていう偏見で見てしまって。でも話してみると、野球のことばっかりやさ。まるで野球少年のまんま大人んなったみたい」。
昭和30年(1955)に、千万石さんはふ志子さんと結婚し、二人の男子を設けた。
「沢村さんの球は、低めが伸びてホップするって。親父はグローブのパンヤを抜いて、沢村さんの球を受け取ったらしい。最初に掌の内側が腫れて、痛とて馬肉で冷やして、またそのまま球を受け続けとると、今度は手の甲に腫れが抜けるらしいんさ。そうなるともう痛となんらしいんさ。とにかく左手が固とて、悪いことして怒られて、親父の左手が上ると震とたもんやさ」。

二男の茂樹さん(46)が、古い写真を開いてつぶやいた。
指がまるでミットのような形に曲がっている。
「親父は、とにかく野球がすべてやった。どっこも連れってもうたことないし。一度だけやわ。甲子園へ母校の応援に連れてかれたんが」。
茂樹さんは、愚痴のような口調で、しかし父を誇らし気に語った。
千万石さんは、平成6年に86歳の生涯を閉じた。
まるで27歳という若さで散った、沢村栄治の恋女房として、彼の分まで野球一筋に生き抜くように。
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昨年の東京オリンピック(野球)で
日本が金メダルを取った・・
ハラハラ!ドキドキ!した。
故沢村栄治選手は凄かった!と、聞く
当時160㌔のスピードボールを投げたなんて、
その投球を見た人は、さぞかしビックリした事でしょう。
大谷選手、佐々木朗希選手・・
数十年に一度、凄い選手が出てくるもんです。
本当は、私も数十年に一度の凄い奴なんです。
この事は、くれぐれも他言無用でお願いします。
大谷選手も佐々木朗希選手も、共に物凄い逸材ですよねぇ。
コロナだプーチンだのと、暗いニュースが蔓延る中、唯一の救いですよねぇ。
野球の事が あまりわからない私でも、毎日 テレビや新聞紙面を賑わしているから、又 野球ブームが
『キタ 〰〰 』んでしょうね
(*˘︶˘*).。*♡
『ビッグボス』 『オオタニさん』『佐々木朗希君』
そして 女子の野球選手までも❣️
将来 野球選手を目指す子供達が 又 増えるかな~ (。•̀ᴗ-)✧
確かにぼくらの少年時代は、挙って野球少年ばかりで、他に選択の余地すらなかったですものねぇ。
TVのニュースで起こし太鼓を拝見しました。
やっぱりまた出掛けたくなっちゃいますねぇ。