「素描漫遊譚」
「レストランクラブ」
何ともイカした古の店と出逢った。
末広町商店街の中ほど。
看板には意味深な「レストランクラブ」の文字。

蛍光灯の消えたショーウィンドーの中には、黒ずんだロウ細工のオムライスとチキンライス、ハムエッグとチャーハンが、何十年か前に置き去られたままの状態で、道行く人を眺めてる。
薄っすら開いた入口から、店内をこっそり覗き見ると、四本足の厳ついソファーとデコラ張りのテーブルが、整然と配置されていた。
「巨人・大鵬・卵焼き」世代のぼくにとって、このレストランは高嶺の花だったんだろうな。
店内から香るケチャップの匂いに惹かれ、思わず立ち止まろうものなら、「何してるの!早く行くよ!」ってな調子で、母にいきなりこっぴどくどやされ、ぼくの小さな手が強引に引っ張られたことだろう。
そう言えば、子供の頃よくレストランのショーウィンドーに立ち止まって、まだ一度も食したことの無い外国風の料理を眺めては、「いったいどんな味がするんだろう?」「どうやって食べるんだろう?」と、食べられもしないのに独り考えたものだ。
でも決って最後は母に見つかり、強引に手を引かれて連れ去られたもの。
母の目には「卑しい子だ」と映っただろうか?
ぼくはショーウィンドーに見とれる姿を、母に見つかるたび、いつも気まずい想いに駆られた。
貧しかったぼくの家は、一家揃っての外食なんて何年かに一度、有るか無しかだった。
だから万一母から「レストランに入ろうか?好きなもの何でもお食べ」なんて言われたらどうしようって、いつも考えてた。
そんなこと、もし母が突然言い出そうものなら、何か途方も無く悪いことが、わが家を襲って来るようで怖かった。
だからぼくはそんなことがあったら、「ぼくお母ちゃんの目玉焼きと味噌汁がいいだもん!」って答えようって、小さな心にずっと決めていた。
でもとうとう、ぼくが大きくなるまで、お母ちゃんはそんなこと一度も言ってくれなかったね。
お母ちゃん、今度は彼岸に逢いに行くからね。
お母ちゃんの好物だった、おはぎを持って。
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レストランと名の付くお店に入ったのは?
と、思い出してみると・・
あれは確か?
柳ケ瀬にあった「丸物百貨店」の中にレストランかあった。
そこでお子様ランチを食べた覚えが
ハンバーグを生まれて初めて食べた、あの美味しさは
60数年経った今でも味はちゃんと覚えている。
後にも先にもレストランへ連れて行ってもらったのはこれ一度だけでした ❢
確かに子どもの頃なんて、レストランと名のつくところは、落ち武者殿同様に、百貨店の上層階にあった食堂でした。
それも辛うじてぼくにお子様ランチを食べさせてやろうと思って、両親はいつでも一番お値打ちな素うどんか中華そばだった記憶があります。
重ね重ね両親には、頭が下がりっぱなしです。
高校一年生の時、家の近くにレストランがあり、同じ駅まで一緒だった一つ上の先輩が「ご飯、食べて帰ろう!」と誘ってくれてご馳走になった。付き合っていた訳でも無かったけど、なんか大人だったなぁ⤴️
あっちゃー、そりゃあ素敵な思い出じゃないですかぁー!
オカダサンのご両親さまへの想いがよくわかります。僕は、父を見送ってはじめてのお彼岸です。プラスマイナスいろんな気持ちが相まって朝晩お経をあげています。
それはそれは、きっときっとご尊父様も、お慶びだと思います。