「素描漫遊譚」
「せともの祭大廉売市」界隈
今回の「素描漫遊譚」は、「せともの祭大廉売市」を、2週間後に控える愛知県瀬戸市へ。
軒を連ねる露天には、きっと色とりどりの陶磁器の花が咲き乱れることだろう。
瀬戸川沿いをちょいと、深川神社に向かって北へ曲がると、またしても昭和のノスタルジーがぼくを待ち受けていた。
小さく狭くて距離も短い商店街は、案の定アーケードの軒も低い。
看板には宮町地下商店街と。

しかしエッコラエッコラと、地下へと続く階段を駆け下りた記憶など無いし、何処からどう贔屓目に見たにせよ、天下の大道に相違ない。
周りを見渡せば、瀬戸川沿いに西へと向かう「銀座通り商店街」。
少し南を東に向かう「末広町商店街」。
どちらも全国津々浦々で見かける、無難な商店街の名称が掲げられていた。
にも関わらず「宮町地下商店街」とは、何とも大胆不敵。
深川神社の門前ゆえ、宮町はまだわかるとしても、「地下商店街」の由来が気に掛かる。
居ても立ってもおられず、鰻屋の前で順番待ちのおじさんに、何気なく問うてみた。
「ここって、本当は『宮町イケシタ商店街』って言うんじゃない?」。
「はぁあ?」。
「だからここの商店街の名前ですって」。
「ああそのことか。たいがいの人が、何でやってよう言うんやけど、この裏の一段高い駐車場から見ると、まるで地下に商店があるように見えるからやろ」。
まあ何とも、嘘臭い由来に思えるが、もしそれが真実であるならば、見方も考え方もまったく異なる。
ここを洒落心一杯に「地下商店街」と、そう親しげに呼んだ人々の、緩やかで穏かな昭和の欠片の時間が偲ばれるからだ。

100㍍にも満たない商店街には、歩道から人が溢れ出している。
近付いてみれば、歩道に面した一角で、大柄な白衣の店主が捻り鉢巻き姿で、汗を拭いもせず寡黙にせっせと焼きそばを焼き続けている。
10人分以上を一度に鏝でひっくり返しながら、ソースを垂らしこむ。

鉄板に弾けるソースの豪快な音と、鼻に突き刺さるような刺激臭に、待ち侘びる客も生唾をごくり。
そのも一つ向こうが、備長炭直火焼の鰻屋。

ここも歩道の客待ちが絶えない。
さらに門前へと歩を進めると、家庭を顧みる暇も無く、ただひたすら昭和の時代を走り抜けた男たちを、癒しては送り出したであろうスタンドバーの手垢に塗れた木製ドア。
まるで生まれ故郷のような、郷愁の時代の片鱗に触れ、ほだされることしきり。
それはそうとさっきから、鰻のタレが備長炭の熾りに爆ぜ、鼻先を掠める。
たまらなく芳ばしい匂いに釣られ、ぼくはどうにも居ても立ってもおられず、思わず「鰻丼一丁、それとビールの大瓶もねぇ」と腹の底から叫んでしまった。
さあそれでは、2日間で50万人の買い物客や観光客で賑うと言う、「せともの祭大廉売市」開催間近の瀬戸の町を、一足お先にのんびりと漫ろ歩いてまいりましょう。
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ディズニーランドと街の人込みって、好きじゃないけど!
祭りの人込みはイイよねぇ ❢
活気があって、ウキウキするぅ⤴
4枚目の鰻屋さんの写真、昭和感があって・・
この店、絶対に美味しいだろうねぇ!
今度生まれ変わってら仕事、鰻屋さんもイイかも?
でもさ~ぁ⤴商売だから自分では中々食べないんでしょうねぇ!
それはそれでイヤだねぇ!
いっそうの事ウナギに生まれ変わるか?
自分が食べられるのって、それもイヤだねぇ ❢
落武者と呼ばれないように、やっぱ人間がイイねぇ ❢
毎日毎日、飽けても暮れても炭火に晒されながら、鰻を焼き続けるのって、そりゃあもう想像を絶する大変さじゃないでしょうかねぇ。
串打ち3年、焼き一生なんて言われるくらい、奥深い仕事でしょうねぇ。
よく、鰻の焼ける香ばしい匂いだけでご飯が食べられるなんて言うけれど、やっぱりタレだけでもかけて欲しいわ⤴️
ええーっ、ぼく的にうな丼は蒲焼がまとったタレだけで十分で、ご飯にタレを掛けないでくださいって、お願いしちゃいます。
昨日と今日は多治見の陶磁器祭りです。今年は小規模分散開催となりましたが、職場が会場の近くなのでクルマは多かったデスネ! ところで、この季節になりますとオカダさんの「花筏」を思い出します!
花筏を眺めながら、盃を傾けたいものです。
多治見の陶磁器祭りも見応えありそうですねぇ。