「素描漫遊譚」
「奥の細道むすびの地」
水門川は最上橋の袂で牛屋川と二つに分かれ、大垣城を取り囲むように流れ下り、貝殻橋の僅か上で再び一つに結ばれる。
さらに南に下り住吉橋を越えると、左手に住吉燈台の櫓が川沿いの大木を見下ろす。

この対岸が、芭蕉の「奥の細道むすびの地」として知られるゆかりの場所だ。
初夏の新緑を身にまとい、穏かな風に枝を揺らす川岸の木々。
緩やかな流れをたたえる川面。

そんな風景の中、俳諧心もわからぬ無粋者ではあるが、現をけたたましく流れる忙しない時が、確かに一瞬止まったように感じられたから不思議だ。
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以前、コロナ前
一度、大垣を散策した事があります。
大垣城へも行きました。
いつもお城へ行く度に思うけど、
この石垣を持って来るの大変だったろうな~ぁ⤴
今なら重機で何とかなると思うけど
まして岐阜城なんか山頂に運ぶの大変だったろう ❢
昔の人は凄いねぇ ❢
そうそう・・忘れてたけど
大垣名物「水まんじゅう」食べた。
粒あんだったら言う事なし ❢
石垣造りの名人集団は、あの穴太衆(あのうしゅう)がついつい連想されてしまいます。
穴太衆とは、近江の比叡山山麓にある穴太(穴太ノ里[あのうのさと]などとも称した。現在の滋賀県大津市坂本穴太。延暦寺と日吉大社の門前町、坂本の近郊の出身とかで、古墳築造などを行っていた石工の末裔であるとか。
寺院の石工を任されるのが常で、その高度な技術が買われ、安土城の石垣を施工したことにより、織田信長や豊臣秀吉らにより城郭の石垣構築にも携わるようになったそうです。
それ以降、江戸時代初頭に到るまでに多くの城の石垣が、穴太衆の指揮によるものとか。
これまた浪漫ですねぇ。
前に大垣城に行って写真を撮った事を思い出し、スマホの中を見てみたら2019年4月に。コロナ禍になる前の年だった。ええっ〰!!もっともっと前だと思ってたわぁ。
お出掛けになられましたかぁ。
大垣は、戦国の世では、東西の分かたれだったようですから、当時の東西の文化を孕んだ地だったのかも知れませんねぇ。
夏がきてしまう前に ほんの僅かな時間 水面や景色に目を向けたり 爽やかな風を感じたりして来ようかな。
近場で素敵な場所を探さなきゃ。
きっときっと、車社会の毎日の中で、見落とされている近場の素敵な場所って、あるものですよぅ!
散策されるのも手かも!
いいですね。「奥に細道」
疲れた身体には染みます。
地震対策をしているようでしていないので もう一度見直そうと思います。
ぼくなんて酔っぱらってて、夢の中で地震の揺れを感じちゃってましたぁ!
そうしたら現実でした!
奥の細道ゆかりの地
初代、結びの地記念館のホールで
青年の主張
中学校代表で発表したな~
記念館前の電話ボックスでよく女の子に電話したな~
小学生のとき
住吉灯台を写生しに行ったな~
思い出いっぱい
ぼくの実家は未だに長屋
神保長屋と言われたが
僕は貧乏長屋とよく言って親に怒られた
そんなこと言っちゃあ、ご両親に失礼だよ!
当時のご両親は、それなりに必死に生きて来られたんだって!
いい想い出の原点じゃない!
滋賀県 日牟禮八幡宮も大垣と同じように 川下りができるんですよ
♥(*^3^)/~♡
近くには八幡神社があり岐阜城みたいにロープウェイで上がれたり、周りには バームクーヘンで有名になったクラブハリエや 和菓子の美味しいたねやさん、チーズの味噌漬けが美味しいお漬物屋さんもあり、ランチの後はのんびり ゆっくりのお散歩が良いですよ ❣
彦根城近くには 小鮎の佃煮や小鮎の天ぷら、近江牛コロッケもあり こちらもオススメです ෆ╹ .̮ ╹ෆ
ビールを ぷっファ〰 と呑みたくなりましたね〜
キリンの 【新】ビールが待ち遠しいな
(。•̀ᴗ-)✧
そうなんですかぁ!
ぼくももう一度近江牛ホルモンを食べに行きたいと思っていますから、ぜひぶらりと訪ねて見ます。