今日からは、毎日新聞の「くりぱる」に掲載されたシリーズに、一部加筆修正を加えお読みいただければと思っています。
「素描漫遊譚」
寒風吹きすさぶ中、8000人とも10000人とも言われる裸男たちで、町中がごった返す稲沢市国府宮。
今回の「素描漫遊譚」は、『祭り』をテーマに漫ろ歩いてまいります。
旧暦、新年の「はだか祭り」に託される願いは、悪疫退散。
祭りとは、「祭る、祀る、奉る」の連用形。
差し詰めこの場合は、神々の前に禊ぎを終えた穢れ無き裸の姿と、邪念の無い清浄な心をもって出で、子どもの頃の押し競饅頭の原型を成すような、裸同士のぶつかり合いを通じ、厄や災いを一身に纏う儺追人(神男)を追い詰め、儺追殿へと封じ込める儀式を指す。
8000とも10000とも言われる裸男。

どんな職業で、どんな肩書きを持ち、どんな暮らし振りで、どんな生き方をしているのか?
身体を被う全てを脱ぎ捨てた瞬間、老いも若きも、文字通りたった一人の裸の男に立ち返る。
真っさらな晒しの褌と白足袋姿が、湯気を立ち上げながら揉み合う姿に、爽やかな潔さを感じる。
どこかの映画の宣伝文句では無いが、侍の国の末裔としての記憶が呼び覚まされるのだろうか?
大戦の果てに拠り所を失ったこの国の先達は、敗戦の惨めさを通り越し、正に裸一貫、潔く生き抜く尊さを学んだことだろう。
しかしそれから間も無く60年。
新年そうそうこの国は、先達が敗戦の惨めさから学んだ精神を、いとも簡単に打ち捨て、言葉遊びの果てに、再び愚かな時代への轍を踏み、玉音と共に封印されたはずの扉を開こうとしているのか?。
ご存知「裸の王様」は、愚かな王が騙されて裸になる話。
しからば、一度は封印した筈の終戦の扉を、言葉巧みに押し開こうとする、永田町のお偉い先生方よ。
一度、国府宮の「はだか祭り(儺追神事)」にお出であれ。
あなた方の考え方が本当に相応しいのか、生まれたままの裸になって、大國霊の神のご審判を仰いでは如何か。
あなた方こそ、今年の儺追人(神男)に相応しい方は、他に無い。
多くの民が抱える厄や災いを、一身に担い賜え。
いささかイラクを巡り、きな臭いムードの漂う新年ではありますが、国府宮はだか祭りの儺追人(神男)に憂いを託し、のんびりゆっくりと、漫ろ歩いてまいりましょう。
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「はだか祭り」と言えば・・
ふんどし、だ~ぁねぇ❢
今年も、テレビで、はだか祭りの様子をやっていたけど
コロナの時代に合わせて、こじんまりやってましたが
やはり、ふんどし姿でした。
いつも思うけどさ~ぁ⤴
あれって、万全に気を付けていると思うけど
よく「横○ンとおいなりさん」が出しゃばらないよねぇ・・
以前、コロナ前にケーブルテレビで、はだか祭りをライブ放送でやっていて
司会者の人が、今年も、なんとか「横○ンとおいなりさん」が
大人しくしていて放送が出来て良かった❢
って、言ってた。
マジで映ったらどうするんやろぅ?
そりゃあ生中継だったら、あわててモザイクも入れられないでしょうから、あとはスイッチャーの腕次第ってぇところでしょうか!
でもまあ生中継で映っちゃったら、そりゃあもう神聖なる神事ってぇことで、煙に巻くしかないんでしょうねぇ。
かつてどこかの局の中継で、一瞬映っちゃったことがあったって聞いた気がしますけどねぇ。
お祭りって賑やかだったり 盛大だったり 夕暮れの中のほんのりとした明るさだったり…
昔々は 楽しさだけだったけど 年齢を重ねるにつれて 感じ方が変わってきたように思います。お祭りの由来などを耳にすると 物凄く興味が沸いたり。
全てが厳かな感じがしますね。
幼かった日や、若かりし頃は、非日常的なお祭りでアドレナリンの噴出に抗いきれず、ただただ興奮したものでした。
しかし齢を重ねると、お祭りに潜む古来からの物語まで、根こそぎ享受したくなっちゃうものですよねぇ。
子供の頃、毎年2月26日にさほど近くもない神社で『カッチン玉祭り』があり、深い意味も知らず毎年のように行ってました。その日は、一人でも辿り着けるくらい目指す所はみんな一緒で、へその緒を形どったカッチン玉(棒に付いた大きな飴)を買ってきます。後々、安産祈願、厄除けなどの意味があるお祭りだと知り、自分の安産祈願にも訪ねました。今年も沢山の人で賑わうといいな⤴️
へぇー、『カッチン玉祭り』ですかぁ!
知りませんでしたが、物凄く興味がわきました。
調べてチャンスがあったら、ぼくも訪ねて見ようと思います。
まぁ、もちろん、安産祈願じゃありませんけどねぇ。