2000年12月26日 毎日新聞朝刊掲載
「年越し蕎麦ならぬ世紀越えカレー」
いよいよ世紀越え大カリーパーティーは、秒読み段階に入った。
ブッダガヤに電話を入れ、気になるカリーテンプルの状況を、トラストのジャガット理事長に聞いてみた。
後五日後に、落慶法要が執り行われるカリーテンプルは、全貌のほぼ九割が完成し、現在は宿坊に備品を設置したりと、最後の準備が進められているという。
まさにカリーテンプルは、今か今かと七人の僧りょの到着を待ち侘びているのだ。

中でも一番心待ちにしているのは、他でもない。
17年前、青年僧の内田が、帰国に際し振舞ったカレーを、嬉々として食べた村人たちであり、土地の寄進を申し出た当時の少年たちに他ならない。
内田の送別会を兼ねた、カレーしかない当時のパーティーは、300人の村人たちに囲まれ夜通し続けられたそうだ。
ワインもサラダもない、所詮一杯のカレー。
されど一杯のカレーだけで、ここまで人は喜びを分かち合えるものなのだと、その時内田は感じたという。
物の量や質ではない「ありがたみ」の存在に。
インドには、新年を祝う風習がない。
ましてや新世紀などといったところで、その日を暮らすためだけに生きる村人たちにとっては、所詮他所事に過ぎない。
しかし、さすがに今年の大晦日だけは、特別だという。
村人たちの間には、日本から内田がやって来て、またカレーを振舞うという噂が広がり、既に隣りの村にまで聞こえているという。
一体、世紀越え大カリーパーティーには、どれだけのインド人たちが押し寄せるというのだ。
心配はないかと内田に尋ねると、「大丈夫。ノン・プロブレム。何とかなるやろ!」の一言で片付けられてしまった。
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年越しそばは大晦日の昼には必ず食べます。
けど、いつの日からか?
大晦日の夜には、決め事みたいに「すき焼き」
何でやろ~ぅ?
テレビのインタビューなんか見ると
「今夜はすき焼きを食べて年を越します!」何て事を聞きます。
我が家は、嫁の実家へ行って7人で食べます。
流石に、年寄りが多いせいか、肉の取り合いにはなりません!
最近美味しいな~ぁ⤴と思うのが「シラタキ」
若い頃は美味しいとは思わなかったけど・・
歳取ると味覚も変わって来るんですねぇ!
不思議?なもんです~ぅ⤴
ぼくんちも、いつごろからか大晦日と言えば、年取りのすき焼きになってますねぇ。
ぼくはもちろん、お肉とキリン一番搾りです!
年末年始だけはちょっと贅沢に、淡麗グリーンから格上げです!
心待ちする日があるって言うのは、待っている時間もワクワク出来るからいいよねぇ⤴️最近、カレンダーに書き込む予定といったら病院の予約日だけ(ーー;)
それ分かりますぅ!
ぼくも通院予定やらリハビリの予定やらで、何だかなって感じですわぁ。
そうなんですよね。
子供の頃の年越しは お寿司屋さんに自分の家の寿司桶を持って行くと予約完了で お寿司を握って貰って取りに行くとゆう事になってました。それから年越しには奇数の数の野菜を鍋で煮てお正月じゅう食べる事になっていました。確かにおじいちゃんの家には囲炉裏があったから そうゆう事になったのかもしれません。子供の頃はこの野菜の中の苦手な野菜を食べるまでお寿司が食べれなくて 時間がかかっていました。今は大好きです。
嫌いな野菜を真っ先に食べてから、後は残った嫌いじゃないモノたちばかりを美味しくいただくか!
はたまた、嫌いなものを最後まで制圧できないまま、困り果ててしまうか!
これは子どもの頃の最大の悩み事だった気がします。
「ありがたみ」の存在
年末から最近まで つくづく感じています。
父親が通ってたディサービスのスタッフさん。年末まで入院してた病院関係の方々。その後のショートステイのスタッフさんや特別養護老人ホームのスタッフさん。母親が入所した介護老人保健施設のスタッフさん。ご近所さん。ケアマネジャーさん。
皆さん全てに感謝しかありません。
心からありがたいです。
先日 ディサービスの方々に挨拶をして来ました。分かち合って話して頂けるだけで有り難かったです。
これまでも そして これからの出逢い 大切にしていきたいと思います( ◠‿◠ )
「ありがたみ」を感じることが出来るって事は、その分心の重荷が少しだけ軽くなる気がするものですよねぇ。
オカダさんのその言葉も有り難いです。
ありがとうございます( ◠‿◠ )