「遥かなるカリーテンプルへの道!」(第12話)

2000年12月5日 毎日新聞朝刊掲載

「ゴハリ?牛はやっぱり神様の乗り物だぁ」

ブッダガヤの村の外れ。

家の前の日当たりの良い場所に、家族全員がしゃがみ込み、何やら楽しそうに話し合いながら、土のようなモノを手で丸めている。

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そして見る見るうちに丸く平べったいピザの生地のように伸ばされ、日当たり良好な家の壁面にペタリと貼り付けられてゆく。

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一方母親は、自然乾燥したピザ生地のような物体を、一枚一枚丁寧に剥ぎ取り、数十枚地べたに積み上げ、藁縄で器用に束ねている。

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「これまで口にしたことのない、食べ物なのだろうか?いや、それにしてもちょっと不衛生じゃないか?」などと思いながら、どうにも堪らずガイドのバサックを見やった。

バサックは「またかよ!」とでも言いたそうなうんざりとした顔で、「それはゴハリね」とぶっきらぼうに答えた。

「なかなか旨そうな名前じゃないか?」と思った矢先、再びバサックが解説を加えた。

「ゴハリとは牛の糞。ワカリマスカ?牛のウンコね。それを乾燥させ竃の火種として使うネ」。

ぼくは思わず「ウエッ!」。

しかし巧みなリサイクル術に感心するばかり。

何とか土産代わりに日本へ持ち帰りたいと思ったほどだ。

しかし仮にゴハリを持ち出し、日本の空港の検疫を無事に通過できたとしても、果たして土産に貰って喜ぶ者などいるのだろうか?

そう考えると意気消沈。

昭和半ばの七輪で火熾しをしていた時代ならば、大いに重宝したかも知れぬが。

牛はインドの神様の乗り物とか。

牛は日がな一日そこらじゅうの草を食み、もよおせば公道のマン真ん中であろうが、バザールの店先だろうが、お構いなしに用を足す。

そうしてゴハリの原料がボドンとひり落とされる。

すると子供らがせっせと拾い集め、家へと急いで持ち帰る。

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何もこの光景は、ブッダガヤだけで見られるものではない。

カルカッタでもベナレスでも、ニューデリーの大都市の裏路地でも見かけられる。

庶民の暮らしの中に古より連綿と受け継がれてきた、見事なまでのリサイクル術なのだ。

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車は排気ガスを撒き散らすが、牛のあり難き廃棄物からは、火を熾すことができ、暖を取ることも出来る。

さすがに牛は、インドの神が選びし地球にやさしい乗り物であった。

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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「「遥かなるカリーテンプルへの道!」(第12話)」への4件のフィードバック

  1. どちらかと言うと嫌われ物じゃぁ無いですかぁ、糞って。でも、ちゃんと役に立っているんですね。親の糞を食べて成長する動物の赤ちゃんもいるみたいだし。

    1. もう一つ、糞と言えばあの名高い昆虫、糞ころがしのスカラベですよねぇ。
      何でも古代エジプト人は、糞を転がすスカラベを、日輪の回転を司るケペラ神の化身とみなしたとか。
      糞だってそれなりの役目ってぇもんがあるんでしょうねぇ。

  2. 日本だって 昔は 乾燥こそしなかっただろうけど 肥料として使ってたはず。
    思うに これは何かに使えるんじゃないか?と考える事自体が素晴らしい。
    もしかしたら 地球上全ての物が第二の用途に生まれ変われるんじゃないだろうか?

    1. 小学校の校舎の窓から「田んぼの香水」の香りが漂っていました。
      誰が言ったか「田んぼの香水」。
      流石にわが身にまといたくはない香水でしたけど。

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