2000年10月31日 毎日新聞朝刊掲載
「夜行列車はガヤを目指すがや!」
「ハイーッ、シッカリシッカリ!」。
オンボロ乗り合いバスの乗降口から、大きく身を乗り出した男が大声を張り上げた。
ガイドのバサック曰く「男はバスの車掌で、恐らくベンガル語で『早く乗って、早く乗って!』と言っていたんだろう」と、何ともつれない。
オンボロバスは力一杯クラクションを鳴らし、歩道脇に屯する人だかりに向って徐行もせずに近付いてゆく。
すると同時に、歩道脇で屯していた人だかりが一斉に駆け出し、動いているバスに我先にと飛び乗って行くではないか!

車の排気ガスに霞む、カルカッタの夕方のラッシュアワーは、まさに壮絶そのもの。
夥しい数の車と自転車、それに力車とオートバイが犇めき合い、わずか数10cmの隙間を縫って人や牛車がこともなげに横切って行く。
初めてそんな光景を目の当たりにした時は、その無秩序さに無性に腹が立ったものだ。
しかし、そんな生死をも厭わぬ、混沌の中に身を置いていると、新たな想いが過る。
この街で、いや10憶の民が暮らすこの国で、生き抜こうとする者同士、阿吽の間合いを保ちながら、あくまで自己責任の範疇において、必要最低限のルールとマナーを生み出しているのではないかと。
たとえ車道を強引に横切り、車に追突されようが、無事に渡り遂せようが、すべては自己責任と言うわけだ。
何かにつけ過保護な国に生まれ育ったぼくは、つい「きっと車の方が止まってくれるはず」などと、他人任せな勘違いのまま自己中心な考えを当たり前のように貫いていた気がする・・・。
カルカッタ2日目はこうして暮れ、西へ500kmのカリーテンプルを目指すべく、ハウラー駅深夜11時半発の夜行列車へと飛び乗った。
「ハイーッ、シッカリシッカリ!」。
件の車掌の声が耳をかすめる。
記憶の中に残ったその声は、「早く乗って」と呼びかけると同時に、カルカッタの喧騒にちょっぴり打ちのめされたぼくを、「シッカリせんか!」と叱咤しているようでもあった。
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テレビで・・
インドの鉄道事情で、屋根の上に乗ったり、乗降口に人が溢れていたり
日本じゃ~⤴考えられない乗り方をしている。
大参事にならないのが不思議?
若い頃、先輩と一度夜行列車に乗った事があります。
お金がない為、寝台の方には乗れずに、普通の座席でした。
長野県、松本城へ行き、ただただお城の大きさ美しさに
感動したもんです。
お城について詳しくはわからないけど
お城って、ロマンがあるねぇ⤴
松本城は平城ながら圧巻ですよねぇ。
また四方八方のアルプスの山並みが、これまた素晴らしいですものねぇ。
ぼくはご城下の居酒屋で、地酒と鴨鍋をしこたまいただきましたぁ。
随分と昔、ツアーでお笑い観劇に行った時の事、添乗員さんが「劇場の席は自由席ですが、トイレなどで席を立つ際に座席に荷物を置いといても、その荷物を退かして席を取られてしまうので気を付けて下さい!」と一言。ギョッ!そう言う地域もあるのかぁと、一つ勉強になった出来事でした。
それって、難波〇月だったりして?
ぼくも一度行ったことがありましたが、満席で座れず、会談の通路に座った気がします。
何かにつけて、次元がちがうように思えるインド。誤解を怖れずに言えば、たとえば、店員オーバーの列車が転覆して犠牲者が少なからず出てもあまり大きな騒ぎになったりしない、デルタ株蔓延の際の想像を絶する悲惨さも、なにか底抜けしたような感じがややしました。彼岸と此岸の差が連続的、生と死のギャップが少ないのかな、そんな想いに至ります。もちろん、近親者の悲痛は大きいに違いないのでしょうが。他方では、ラマヌジャンのような天才数学者やラマンのような物理学の奇才も産み出す亜大陸。ぼくも元気なときに、しかも気候が出来るだけ温暖なときに、彼の国に行ってみたいです。
とにかくインドの多くの民が信奉するヒンディー教において、お釈迦さまは9番目の神様だそうです。
だからか、そんな9番目の神であるお釈迦様に手を合わせるぼくらにも、とっても大らかでした。
勝手に想像しちゃうけど 本当に『しっかり!頑張って!』の意味なのかも知れない気がします。
昔 日本の方が滞在し交流の中で その言葉を覚えて使い始めた…みたいな(笑)
想像の域なので笑ってやって下さい( ◠‿◠ )
そう言うのって、ぼくもあったかもしれないと、そう思っちゃうものです。