「遥かなるカリーテンプルへの道!」(第2話)

2000年9月12日 毎日新聞朝刊掲載

「7人の侍ならぬ7人の僧侶」

インド釈迦成道の聖地、ブッダガヤ。

その土地の寄進を受けることになったものの、「いったいこれから、どないしよう?」。

内田はため息を漏らした。

そこで彼は全幅の信頼を寄せる、福井県南条郡の善導院、清水涼裕(52)住職に声を掛けた。

「ほらぁなんとかせな、しゃあないで」。

この清水の一言で神戸から3人、豊岡から1人、福井からも1人の僧侶が、志を一つに集結した。

総勢7人。

会の名は「お釈迦様の聖地に宿坊を作る会」と定められ、早速その土地の視察へと内田・清水・古本の僧侶3人が1998年7月に渡印。

しかし寄進される予定地は、表通りから他所の土地で遮られたその奥にあった。

建築どころか、人が入ることさえままならない。

ただただ愕然とするばかり。

インド渡航歴が最も豊富な猛者、内田でさえ極度のストレスから40度近くの高熱にうなされた。

しかし寄進を申し出た、ブッタの里の村人の善意を、責め立てることなど到底できない。

3人が肩を落とし帰国準備を始めた頃、もう一人の村人(タルケッシュ・パスワン)から代替地を提供しても良いとの申し出が入った。

写真は参考

わずかな残り時間を費やし、土地の下見と交渉が行われ仮契約に。

たった24時間ぽっきりの、何とも綱渡りのようなブッダガヤ滞在となった。

一度は夢が潰えたかのように、ただ打ちひしがれてばかりだった3人も、口々に「お釈迦のご縁だ!南無阿弥陀仏」と、ブッダの里の大地を茜色に染め上げながら沈みゆく夕陽に向い合掌した。

7人の侍ならぬ7人の僧侶は、20世紀末のカリーテンプル建立に向け、大いなる一歩を踏み出した。

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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「「遥かなるカリーテンプルへの道!」(第2話)」への9件のフィードバック

  1. やはり、世界中、新型コロナの第6波になった。
    世界中の人達が・・お寺(仏心寺)でお祈りをした事でしょう❢
    こんな事態が、もう3年になろうとしている。
    はたして、救世主は現れるのか?
    私、思うに世界中の人々が救世主だと思う
    決め事を守っていれば・・事態はきっと収束に向かって行く❢
    と、まぁ~⤴
    新年早々、エエ事言ったよねぇ⤴

    1. 収支宗派を問わず、一心に祈る姿って清廉でとっても素敵なものですよねぇ。
      今年こそは節分明けに、お伊勢さんを詣でたいものです。

  2. まさしく、ほとけさまのご縁ですね。西方浄土を思い浮かべるのには、夕陽に手を合わせるのがよいということを昔、ある仏教者から伺ったことがあります。新潟県上越市の海辺にある会社の事業所に単身赴任した折、居多ヶ浜から望む日本海に沈む夕陽を思い出しました。中越地震があった翌日も、海はたおやかでした。私も印度に行き、夕陽が観たいです。

    1. そうですよねぇ、日本海側は海から昇る朝陽こそ見られませんが、でもその反対に海へと沈んでゆく夕陽が眺められるんですものねぇ。
      陽が昇り陽が沈む、ただただ毎日同じ繰り返しながら、その時々の心情一つで違った景色となって目に映るのでしょうねぇ。

  3. きっと神様が見ててくださったんですよね。
    三人の背後の壮大な景色が目に浮かぶようです( ◠‿◠ )
    なんだかワクワクしてきました。
    楽しみ〜♡

  4. 名前も住んでいる所も知らないけれど、縁あってこの場所でみなさんと繫がっています。ひとえに、オカダさんのお陰⤴️ と、今年最初のヨ・イ・ショ❣

    1. 付かず離れずの理想的な距離感って、ぼくにとっては何より大切なモノの一つです。

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