2000年9月5日 毎日新聞朝刊掲載
この「遥かなるカリーテンプルへの道!」は、「カリーテンプルへの道」というシリーズで、2000年9月3日から2001年3月6日まで、毎日新聞朝刊に連載していただいたものです。
今回はその一部に加筆修正を加え、ブログにアップさせていただきます。
「17年前の300杯のカレー」
「インドに寺を建てなあかんねん!」。そう言って男は、コップ酒を煽った。
男の名は、内田卓也(45)。れっきとした滋賀県八日市市の浄土宗福命寺住職だ。
「なに言うてんねん。この坊んさん?」。ぼくはこっそりつぶやいた。しかし2杯目のコップ酒が空になる頃には、すっかり彼の独演会へとのめり込んでしまったのだ。
彼は1981年から3年間、インド・ビハール州のブッダガヤに日本寺駐在僧として滞在。釈迦成道の仏教の聖地の貧しい村人たち。誰もが慎ましく、支え合って生きる姿に感銘を受けた。

彼は3年間の駐在期間の大半を、貧しい村人たちと過ごし、ヒンディー語も独学で学んでいった。この3年で彼は、物質中心となり果てた日本人の価値観に、大いなる疑問を抱いたという。
彼は任期を終え帰国に際し、世話になった村人たちへのせめてもの礼として、私物を売り払い300杯分のチキンカレーを振舞った。
それから15年後。
ブッダガヤから彼の元に一本の国際電話が入った。
電話の主は、15年前にカレーを食べたという青年から。
ブッダガヤの土地を寄進したいとの申し出であった。
「村人と日本人が、15年前のカリーパーティーのように、共に触れ合える場所を作って欲しい」。
当時の少年は、内田に願いを託した。
「わかった」。
彼はヒンディー語でそう応えたものの、「えらいこっちゃがな!」が、本音だったと振り返る。
カレーが紡いだ不思議な出逢いは、一本の国際電話を境に6.000㌔を隔て、新たな日印の物語を刻み始めた。
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確か?
小学生の頃
カレーのCMで「インド人もビックリ」
こんなコマーシャルがあったと思う❢
子供達の間で「何々もビックリ~ィ⤴」なんて結構流行った。
最近、ビックリした事・・
鏡を見てビックリ⤴
「俺ってこんなジィジィなんや~ぁ⤴」と❢
新年早々 ビックリとショック
ぼく的には、南利明さんの「オリエンタルカレー」の印象が強かったですねぇ。
あのコックさんの柄がついた、カレースプーンが欲しくって欲しくって!
ブッダガヤに建つ印度山日本寺。私は仏教に関心があって、いろんな本を読んでいます。オカダさんの連載がたのしみです。
聞いた話ですが、インドには何でも3億3千万の神々がおいでになるとか。
わが日本の八百万の神々よりも、神々密度は非常に高いようで、ちょっと歩けばすぐさま神に頭を垂れなければならないようです。
家族が減ったらカレーを作る頻度が少なくなってしまいました(^_^;) でも、近々作ってみよっかな⤴️
最近ぼくは、西城〇井でギャバンのカレー用香辛料セットを買っては、スパイシーな自分好みカレールーを作って瓶詰にし冷蔵保存しています。
そしてカレーが食べたくなると、そのルーを使って、適当なあり合わせの野菜や海老やら肉を使って、手抜きカレーを作っております。
ちょうどブログのamazonの広告にある、まさしくギャバンのカレー用香辛料セットです。
そう言えば 最近カレーを作ってなかったわ〜。
我が家には 定番のじゃがいもや玉ねぎやにんじんやお肉以外の食材を入れると嫌がる方がいらっしゃるので 私自身が好きな食材を入れるのを諦めてたけど カレーを作る途中から 私自身のカレーだけ別に作ればいいんだ!
いつも夕飯を作り終える頃には 疲れがMAXだから そんな単純な事さえ思い付かなかった。
とびっきり美味しいカレーを作るぞ〜!
私だけのカレーを( ◠‿◠ )
何だか子どもの頃から、カレーって言うとインスタントカレーの説明書きをなぞってつくっちゃうからか、3人家族だったわが家なんて、いつだってカレーが大鍋にてんこ盛り状態でした。
でもギャバンのスパイスでベースのカレールーだけ作っておけば、その時々の冷蔵庫の残り物の野菜や肉やら海老なんぞを使って、一人分だって簡単に出来ちゃいますからなんとも重宝ですよ!