「ショチョウのお赤飯?」

「こんにちは」。
その声に応じるように、母が玄関の引き戸を開ける。
するとそこには、いつになくめかし込んだ着物姿の、3軒向こう隣のタカちゃんのオバちゃんだ。
紅白の水引きの掛かった、折り詰めを差し出し「この子もやっと大人の仲間入りさせて貰いましたで、これからもどうかよろしく」と。
よく見るとオバちゃんの後ろで、着物姿のタカちゃんが頬を赤らめ、恥ずかしそうにもじもじしているではないか!
「そうか、タカちゃん。それはおめでとさん」。
母は折り詰めを押し頂きながら、こっそり胸元からポチ袋を取り出すと、タカちゃんの襟元へと偲ばせた。
「さあ、タカちゃんのお祝いのお赤飯やで、有難くみんなで頂こう!」。
母は卓袱台の上で折り詰めを広げ、胡麻塩を振り掛けた。

「そうかタカちゃん、もう紅いお印があったんか!そりゃ目出度いな」と、お父ちゃんも嬉しそうだ。
「?????」。
ぼくには何が何やら、さっぱりチンプンカンプンだった。
「ねぇねぇ、お母ちゃん。ぼくとタカちゃんは、同い年だから、小学5年のまんだ11歳なのに、なんでタカちゃんだけ今日から大人なの?ぼくなんてまだバス賃だって、子ども料金やよ?それに何でタカちゃんは、お赤飯拵えてまって、近所回しに配って歩くん?」。
その晩ぼくは、どうにも腑に落ちず、お母ちゃんを問い詰めた。
「そっ、それは…。そんなことは、お父ちゃんに聞き!」と。
風呂上がりを待ち構え、お父ちゃんに尋ねて見る。
すると「お父ちゃんは…、男やし…」と、とにかく歯切れが悪い。
それでもお赤飯の由来をどうしても知りたくて、お隣のご隠居、澄川さん家の婆ちゃんにこっそり尋ねて見た。
「そりゃあなぁ、女の子には『ショチョウ』って言うてな、大人の女になった証しに、紅っかいお印のお遣いがやって来るんやて。まぁ、ミノ君ももう少し大人になったら、自然とその意味が分かるでええって」と。
それにしても、その「ショチョウ」と「紅いお印」と言う、耳慣れぬ言葉が、どうにも頭から離れなかった。
しばらく経った授業中のこと。担任の女教師が「来年、いよいよ平和の『象徴』として、「人類の進歩と調和」をテーマに、大阪万博が開催されます」と、晴れやかな声を上げ、黒板に書き綴った。

「ショチョウ」じゃなくって、『ショウチョウ』ってことか?
またしてもぼくの頭の中では、「ショチョウ」と「紅いお印」に「象徴」が三つ巴となってグルグル回り出す。
どうにも我慢出来ず、職員室の担任女教師に尋ねた。
すると先生も一瞬口ごもり、「そ、それは…、保健室で保健の先生に尋ねなさい」と。

保健室の女の先生は、「もう少しすると、保健体育の時間で、男子も教わるから、それまで待ちなさい」とのこと。
結局ぼくは、保健体育で真実を教わるまで、恥ずかしながら「初潮」を「象徴」と勝手に思い込んでいた。
おまけに「紅いお印」とやらは、大阪万博会場に棚引く、紅い日の丸だと思うことで、そのモヤモヤを打ち消していたのだ。
でも大人たちを真似、うっかりタカちゃんに「お目出とう」なんぞと、知ったかぶりして口を滑らせなくて良かったのかも知れない。
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保健体育の時間で・・
男子と女子とは別々の授業だったので
我々、男子は当時、多分?知らないままだったと思います。
当時、学校で「性教育」って、なにもなかった気がします。
大人びた同級生から色々な事を教わって・・
だから、みんな「耳年増」って言うやつでしたねぇ❢
昔は面白かったねぇ❢
雑学を豊富に知っている同級生が一人や二人いたもんです❢
そうそう、その道にたけたお兄ちゃんがいる子とか!
雑学の先生のようでしたよねぇ。
私もお赤飯でお祝いして貰いましたよ❣
学校行事のキャンプの前に女子だけ集められて『その話』がありました。5年生だったかしら。男子は、なンのこっちゃで興味津々でしたねぇ(笑)
ぼくにもお姉ちゃんでもいたら、もっとそうした男と女の生理的な違いも理解できたんでしょうが・・・。
なんせ3人家族のわが家の中で女と言ったら、男勝りの筋金入りなお母ちゃんただ一人だけでしたからねぇ。
女の人って 女の子から女性になり 二十歳で大人になるって感じなのかも。
だから ちょっとだけ芯が強い気がします(笑)
今の小学生は 男女かかわらずもっと早い時期に勉強させてもらってるのかなぁ?
自分の身体の事を知ったり 相手を思いやる事の大切さなんかを知ったりして欲しいなぁ〜( ◠‿◠ )
性に関する教育は、もっとオープンな形で早く教えた方が良いように感じます。
まだ早いとか、大人側の間隔だけで教育を開始する時期を決めるのではなく、男女の違いと特性を相互に理解する方が理に適っている気がいたします。
もう性教育と買って、一昔前と違って禁忌な扱いをしなくたっていいんじゃないでしょうか?