「昭和懐古奇譚~両手鍋の橇(そり)滑り」(2017.2新聞掲載)

「両手鍋の(そり)滑り」

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ウォン ウォン ウォ~ン。

「もう!日曜日のまんだ朝もこんなはよから、ジョンがよう吠えるなぁ」。

ぼくの隣の布団に包まった母が、まるで父への宛て付けの様につぶやき、わざとらしく寝返りを打った。

「怪しい人でもおるんやろか?」。

母は寝たふりを決め込む父に、再び宛て付けの様な言葉を浴びせた。

親子三人の布団は、ぼくを中央に川の字を描くように延べられている。

すると今度は父が、「たまの日曜くらい、ゆっくり眠かせて欲しいのに、かなんなあ…。まったく(うち)の馬鹿犬には…」。

父は誰にともなくつぶやきながら、重たい綿布団から抜け出し、布団の上に広げてあった褞袍(どてら)を、寝間着の上から羽織って玄関へと向かった。

しばらくすると老犬ジョンの鳴き声も止んだ。

寝室の襖がサーッと開き、父が顔を覗かせた。

玄関の裸電球に浮かんだ父の姿にビックリ!

頭も褞袍の両肩も真っ白けっけ。

「雪や、雪が降り出したで、ジョンが嬉して嬉して、それで吠えとったんやわ」。

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雪と聞いた途端、ぼくも嬉しさ余って布団を抜け出し、父と共に玄関から白く染まった一面の銀世界を眺めた。

そして陽が昇るのを今か今かと待ちかまえ、ぼくは白銀の世界へと飛び出して行った。

家の外で歓声を上げ寒さも何のそので、雪遊びに高じているのは、いずれも近所の子どもらばかり。

雪だるまに雪合戦、次第に雪遊びもより刺激的なものへとエスカレートして行く。

すると仲間の一人がやって来て、「ダンプ山で、洗濯板や(かな)(だらい)にリンゴ箱を(そり)にして遊んどる奴らがおるぞ!面白そうやで、俺らも家から橇になりそうなもん持って集合や!」。

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慌てて家に取って返し金盥を探した。

しかし既に金盥には、父の油染み塗れの作業服が、洗剤に浸されている。

ならば洗濯板はと窺ってみると、蜜柑の皮が丁寧に広げられ、天日干し用に準備してあるではないか。

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そんなものを()(ちゃ)って、橇の代わりにしたとなれば、大目玉を喰らう事など先刻承知。

ならばと台所の棚を覗いてみると、手ごろな物を発見!

大きなアルマイトの両手鍋があるではないか!

これで決まりだぁ!

直径60cm近くはあろうかと言う、母が火鉢でコトコトとおでんを煮る鍋だ。

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鍋を抱えダンプ山にたどり着くと、みんな思い思いの代用品の橇で、楽しそうに滑っている。

ダンプ山とは、土建屋さんの資材置き場に、山の様に積み上げられた、高さ2mほどの砂利の山。

その天辺まで登って、代用品の橇で子どもらが次から次へと滑り降りるわけだから、やがて雪も削り取られ、所々砂利も剥き出し。

ツルツルツルー ガリガリガリ。

鍋の中に座り込んで滑るたび、鍋底もツルツルーガリガリ。

時の経つのも忘れ、散々遊びからかして、腹を空かせて家に帰って見ると、玄関で母が仁王立ちではないか!

「しまったぁ!」。

慌てて鍋を背中に隠しはしても、頭隠して尻隠さず。

「おでん煮ようと思ったら鍋があれせんがね。そんなもん持って、何しとったの!」と、母に鍋を取り上げられた。

「あっ、何してくれたの!この子は!鍋の底がボッコボコになってまって、おまけに穴が開いとるやないの!また鋳掛屋のオッチャンに、糞高っい金払って、穴を継いでまわなかんやないの!えっ…なに?なんやと~っ!!鍋の中に座って、橇遊びしとったやと!もう当分、あんたなんて晩御飯抜きや~っ!」。

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でもその晩、仕方なさそうな顔で母がよそってくれたおでんは、格別美味く、飛び切りの暖かだった。

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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「「昭和懐古奇譚~両手鍋の橇(そり)滑り」(2017.2新聞掲載)」への9件のフィードバック

  1. 私が小学、低学年の頃
    冬になると20センチ程の雪が降り積もる事が多々ありました。
    なんせ、小学1~2年生ですから、長靴を履いていても
    子供の長靴ですから大人程の長さもなくて
    通学をして学校に着く頃には長靴の中が雪でベタベタに・・
    ダルマストーブの金網の前は、子供たちの靴下が干してありました。
    石炭ではなくて、コークスでしたよぉ❢
    ダルマストーブで思い出したけど
    高学年になるとストーブを炊く当番があって
    みんなより少し早めに登校して教室温めるってのがありました。
    たまに、当番を忘れる生徒がいて、
    教室が暖まるまでみんな震えて授業をしていました。
    私なんか授業中、先生からいつ当てられるか1年中震えてましたよぉ❢

    1. コークスのストーブでしたねぇ。
      中学り頃は、ストーブの周りは生徒の弁当箱が居並んでいたものです。
      でも2時限目の授業が始まるころには、弁当のおかずが温まって、各家庭の煮物の匂いで教室中が包み込まれていたものでした。

  2. お母さんの気持ち、分かるなぁ。息子たちが小学生の頃、公園の富士山滑り台でズボンどころかパンツにまで穴を開けてきた事があります。お尻も少し擦り切れていて。もう呆れて言葉も無かったわぁ(¯―¯٥)

    1. 子どもの頃って、ついつい遊びに夢中になっちゃうせいか、周りの事が見えなくなっちゃうものなんですよねぇ。
      だから周りの目なんて気にせずに、そのかけがえのない時々を、精一杯全力で打ち込めちゃうんでしょうねぇ。

  3. 微笑ましいわ〜( ◠‿◠ )
    光景が目に浮かびますよ。
    子供の頃 雪が降ると 寒さなんて感じないくらい 外でずっと遊んでました。
    妹と雪だるまを何個も作って並べたり ザクッザクッって歩くだけでも楽しくて。
    今でもワクワクするけど 最初に考えるのは 息子達の送迎が出来るかどうか…と現実的な事ばかり。でも 雪が積もるとやっぱり雪だるまを作っちゃいます(笑)

    1. 雪道の運転って怖いものですよねぇ。
      ぼくも10年ほど前、高山からの帰り道、大雪のホワイトアウト状態の東海北陸道を、ノロノロと車を走らせ、やっとのこと八幡までたどり着いたことがありました。
      そりゃあもう必死な思い出ハンドルを握っていたからか、両肩がガチガチでしたぁ!

  4. 両手鍋でボブスレーやったら面白いでしょうね。あまり雪が降らない昨今ですが、昔はあっても然るべき両手鍋ボブスレーでしょう!そこからオリンピアンはでんでしょうか!

    1. 何だかそんなコメディータッチのほんわかしたオリンピックもよさそうですよねーっ。

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