「母の日の花柄エプロン」

今から四半世紀近く前。
忌明けを済ませ、母を亡くした喪失感を吹っ切ろうと、押し入れの遺品整理を始めた。
すると母の柳行李の一番下から、古ぼけた包装紙に包まれた、薄っぺらな化粧箱が現れた。

包装紙に刷り込まれた屋号「丸栄」の文字には、確かに見覚えがある。
当時両親と暮らした街の、バス停横にあった洋品店のものだ。
天地を引っ繰り返して見る。
箱の裏側には、経年劣化で黄ばんだセロファンテープが、干からびた状態で辛うじて貼り付いている。
そっと包装紙をめくった。
すると、これまた黄ばんだボール紙の化粧箱が現れ、外蓋を開けると中蓋の窓になったセロファンも、これまた経年変化で黄ばんで縮んでいる。
その中に見覚えのある、花柄のエプロンが色褪せ、綺麗に折り畳まれたまま、ひっそりと収められていた。
「あんた、このエプロン覚えとるか?」と母が、エプロンの胸元を指さした。
「えっ?」とそっけない返事をぼくは返した。
それどころでは無かったのだ。
あと少しで、婚約者がご両親を伴い、わが家にご挨拶にやって来る直前の事。
「なあ、本当にもう覚えとらんのか?このエプロン」と、母は料理の手を止め、またしても同じ話を蒸し返した。
「どこかで見た覚えはあるんだけどなあ…」。
ぼくは心ここに在らずで、ぞんざいな答えを返した。
母は少しがっかりした様に「そうか…」とだけ、小声でつぶやいた。
「お母ちゃん、これっ!ぼくがお小遣いをためて買った、母の日のプレゼントだよ!」。
台所で洗い物をしていた母が振り返った。
ぼくは包装紙に包まれた、母の日のプレゼントを恭しく差し出す。

すると母は薄汚れた割烹着で、濡れた手を拭きキョトンとしながら受け取った。
「ええっ……?」。
「だって今日は、5月の第二日曜日の母の日だよ」とぼく。
母は照れくさ気に戸惑いながら、包みを受け取った。
そして茶の間へと移動し、卓袱台の上で丁寧な手付きで、包装紙のセロファンテープをはぎ取り、中から花柄のエプロンを取り出した。

「こんな上等なもん…。どうや、似合うか?」。
母はエプロンを胸元に宛がい乍ら、涙に濡れた声で笑った。
「よう似合とるわ!」と、傍らで父が笑う。
「そうか!でもせっかくいただいた、母の日のプレゼントやし、汚したら勿体ないで、大切な日のために仕舞っとくわ!お母ちゃんの宝物として」。
母はそう言うと、エプロンを元通りに折り畳み、再び化粧箱に几帳面に仕舞い込んでしまった。

母の遺影の前で、今一度エプロンを広げた。
すると母の声が蘇る。
…汚したら勿体ないで、大切な日のために仕舞っとくわ!お母ちゃんの宝物として…。
小学3年になった4月。
担任が翌月に控えた、母の日の欧米の在り方を話した。
それからぼくはちまちまと小遣いを貯め、それまでにちまちまと小銭を貯めた陶器製の豚の貯金箱を持ち、丸栄へと向かったのだ。

「ちょびっとエプロン代には足らんけど、あんたのお母さんを想う気持ちに心打たれたで、負けといたるわ」。
そう言いながら丸栄のおばちゃんは、丁寧に化粧箱に包んでくれた。
確かに紛れも無く、その時エプロンだ!
母が言った大切な日とは、ぼくの嫁となる人を迎える時であったとは…。
母は最期の最後まで、この世にたった一人の、ぼくの母で居続けてくれていたのだ。
改めて母の遺影に、深々と首を垂れた。
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母の日、父の日、誕生日プレゼントなどしても
昭和の人間なのか?
もったいないからと、ズッ~と⤴
タンスの片隅に包装したそのまま、眠っている。
多かれ少なかれ、私のところの親だけでは、無いと思います。
皆さん、もし家族からの贈り物などもらったら
洋服なら着て、日用品なら使って下さい。
眠っている方がもったいないのです。
みんないつの時代になっても、子どもから貰ったプレゼントとかって、お金には代えられない価値があって、ついつい実用するのを躊躇っちゃうもんじゃないでしょうか?
母の日… 娘が小さい頃は 花一輪や可愛い手紙 大人になってからは 口紅や洋服をプレゼントして貰ったり 二人の息子達からは 在学中には先生と一緒に 社会人になってからはスタッフと一緒に作った作品などを頂きました。
三人三様の成長が見られるので それだけで嬉しいものです( ◠‿◠ )
先日も娘がLINEで「誕生日になんにもプレゼント出来なくてごめんね。でも これからもずっと元気でいてね!」って。
だから「あなたが元気で頑張ってる事がなによりのプレゼントです」って返信しました。
父の日や母の日や誕生日って ふっと何かを気付かせてくれる日なのかも知れませんね。
確かにそうしたメモリアルデーは、よそよそしく仰々しい何かをしなくたって、その相手を思いやるだけでも十分心って通じ合えるものなんですものねぇ。
窪田空穂さんの「今にして 知りて悲しむ 父母の われにしましし その片思い」という歌を想い起こさせてくれるオカダサンのコラム。今生の別れが間近に迫ったいま、ぼくは両親に何かしてあげたのかと、逆に辛い思いをさせたのではないかと悔やむ日々です。
そんなものなんでしょうねぇ。
ぼくは30年前に母を、21年前に父を野辺に送り、未だに積年の後悔ばかりを悔いています。
それも両親への供養だと、勝手な論理を貫きながら・・・。
あの世に召されたら、今度こそ親孝行に励みたいものです。
後悔も供養、ぼくもそうありたいと思います。逆に、子供からは打ち捨ててもらうのがスジとも考えています。父の危篤を前に心揺らいでいます。すいません。
どうかお父様との尊いお時間を、くれぐれも大切になさってください。
ありがとうございました。父は一昨日亡くなり、本日告別式を執り行いました。『いのちのバトンタッチ』を感じると共に、悔しさ、寂しさそれに自責の念を感じています。
ご愁傷さまです。
そしてご苦労様でした。
ぼくらもやがてゆく道ですものねぇ。