「昭和懐古奇譚~衣文掛けって、ハンガー?」(2015.5新聞掲載)

「衣文掛けって、ハンガー?」

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子どもの頃、両親や周りの大人たちの何気ない会話を耳にし、勝手な聞き間違いをしていたものだ。

TVニュースが告げる「台風一過」を『台風一家』や、「誤って崖から転落」を『謝って崖から転落』と。

また、母と近所のオバチャンとの会話で、「だったら薬剤師さんに相談せなかんねぇ」と言うのを聞きかじり、『ヤクザ医師』なんかに相談しちゃダメだ!と、泣いて縋った遠い日。

今にして思えば、ただただ赤面するしかない。

そんな頃の事。

父の入院で母が付き添い、2週間ほど留守にした。

我家は3人家族のため、小学3年のぼくを独り置いてはおけぬと、母方の祖母が我が家に泊まり込んだ。

両親が居ない寂しさと、母の味とは異なる祖母の手料理に、軽いストレスを感じたのか、食欲も失せ塞ぎ込んでいたのだろう。

最初の二日ほどは祖母も、あれやこれやと手料理を拵えてはくれた。

しかしなかなか食の進まぬぼくに手を焼いたのか、3日目にもなると早や、夕餉の支度もせず、小銭を握らせ「バス通りの中華屋で、なんぞ好きな物食べておいで」と。

一人の外食なんて初体験。

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ドギマギしながら中華屋に入った。

すると中華屋の夫婦も、低学年の小学生が一人で来店したとあって、やんわりその理由をぼくに尋ねた。

やがて事情が分かると、頼みもせぬのに気の毒がって世話を焼き、食後にプリンやらジュースまで。

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挙句に風呂まで入れと言い出す始末。

父の入院中そんな日々が続き、中華屋の夫婦はすっかり第二の親代わりとなった。

いよいよ父が退院となる前夜。

いつも通りたらふく食べ終えると、中華屋のオヤジさんが、最後の晩くらい一緒に風呂に入ろうと。

ぼくもせめてものお礼に、オヤジさんの背でも流そうと男同士で湯浴み。

湯船に浸かると、オヤジさんが問わず語りにつぶやいた。

ご夫婦は子宝に恵まれず、ぼくが一人寂しげに暖簾を潜った時から、もし子どもを授かっていれば、こんな年恰好だったろうかと、そんな想いをぼくに重ねたのだそうだ。

風呂から上がると脱ぎ散らかしたはずの、薄汚れたぼくの半ズボンやシャツに下着が見当らない。

それどころかオバチャンが、いつ揃えたのか新品のパンツを広げ「さあ!これ穿きなさい」と。

お言葉に甘え、オニューのパンツに足を通し、座敷の中を眺めてビックリ!

ぼくの汚れた半ズボンとシャツが、衣文掛けに掛けられ壁際に吊るされているではないか!

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「あっオバチャンダメだって!薄汚れた服なんて吊るしちゃあ!だってええもんかけに掛けられるような、余所行きなんかじゃないもん」と。

すると夫婦はキョトン。

「そりゃそうや!やっぱり『衣(え)文掛け』ってゆうくらいやで、余所行きのええ服掛けなあかんわなあ」。

すっかり夜も更け、オヤジさんとオバチャンと三人で、川の字に手を繋ぎわが家へと送られた帰り道。

突然オヤジさんは、朧月を見上げたまま足を止め、ぼくの頭をくしゃくしゃになるまで撫で回した。

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そして「またいつでも帰って来たらええ!」と。

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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「「昭和懐古奇譚~衣文掛けって、ハンガー?」(2015.5新聞掲載)」への12件のフィードバック

  1. 衣文掛け、若い子は「ハァ~?⤴」って言うんでしょうか?
    昭和30年代の私でも、衣文掛けって言わなくなった。
    ハンガーって言うかな?
    そう言えば、ハンガーって買った事がない気がする。
    クリーニング屋さんから付いてくる、針金の細いやつ
    でまさ~ぁ⤴
    ひとつ問題があって、夏Tシャツ干す時、肩ん所がポッコリと出るんだよねぇ!!
    Tシャツには向いていないねぇ!

    1. まったく仰る通り!
      Tシャツやトレーナーの両肩にそんなワンポイントが!
      しかしこればっかりは仕方ありませんので、着ていて肩に馴染んでくれるまで我慢するばかりです。

  2. オカダさん、ご無沙汰しています。
    彼とお別れをして2年が経ちました。
    私は本当に周りの人達に支えられ、辛いぐらい支えられて今も生きています。

    今夜はオカダさんのラジオ番組で最後にリクエストし、彼は病室で私は家で聴いた曲を聴きながら少しほろ酔いですごしています。お母さんにも彼にも会いたいな。会えた時はいっぱい褒めてもらうんです(笑)

    オカダさんもお体に気をつけて頑張って下さい☆応援しています。

    1. そうですねぇ、あっという間の2年でしたが、短いようでもあり、とても永く感じられることもあった事でしょうねぇ。
      でも彼は、きっとおかいこさんだけの、永遠の守護神となられているとぼくは思います。
      おかいこさんも彼の分まで、明日に向かって頑張り過ぎない程度に、ご自身の人生を生きてくださいね。
      またいつかお目に掛れますように!

  3. なんだかドラマのワンシーンみたい。
    その時の三人の心情が伝わってくるようです。
    私の両親は共働きで 母親の帰りはいつも遅かった為 夕飯は私達で作って三人で食べて…。でも 父親も遅い時は 近所の喫茶店で夕食を済ませて 父親の迎えを待ってました。そこの叔母さんには 可愛がってもらってましたよ( ◠‿◠ )
    寂しいなんて言えなかったし 言わなかった。文句のひとつも言えてたなら…。
    未だにそういう傾向があるから 少ししんどいのだと思う。
    ヤレヤレ 困った性分である。

    1. なんでも私が抱えなきゃって、無理して抱えすぎると肩も心もこっちゃいますよ!
      もうダメっと思ったら、一旦全部放り出して、その中から重要な物から順にもう一度抱えればいいんですって!

  4. 小3で一人外食かぁ⤴️でも、おばあちゃんと一緒に中華屋さんに行ってたら、おじちゃんとおばちゃんとの触れ合いは無かったんでしょうね。

    1. そうですよねぇ。
      貧しくっても昭和半ばのあの頃は、厳つい顔してても心根のやさしい人がそこら中に居ましたものねぇ。

    1. 周りの人たちの優しさは、現代とではけた外れのような時代でしたものねぇ。

  5. 11月14日 6年前の今日 ♬ ダイコクライブ ♬ で 初めてオカダさんや皆さんにお会い出来た 大切な記念日です❣️

    オカダさんは覚えてみえましたか〜 

    今も父親がコートやジャケットをかけていた 木製の重たーい 衣紋掛 使っていますよ。

    息子が成人式で着る初めてのスーツも、父親が使っていた衣紋掛にかけて 晴れの日を楽しみに待っていました
     (◍•ᴗ•◍)❤

    私 洗濯物を干す時に 拘りがあり 何種類ものプラスチック製のハンガーがあり 息子達に面倒くさがられちゃいます〰〰〰  (。ŏ﹏ŏ)

    1. 家事にはその家を司る主婦のルールってぇものが、その家その家に存在しているものなんでしょうねぇ。
      拘りのルールってぇやつが!
      ぼくはすっかり忘れちゃっていましたが、よくぞ6年前のライブの事を覚えていてくださいましたぁ。
      感謝感謝!

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