「昭和懐古奇譚~昭和のお祭り男」(2014.8新聞掲載)

「昭和のお祭り男」

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庶民の盆踊りは、人が人を(あや)め合う戦と、その狭間に(おとな)う束の間の平和な一時に開花し続けた。

そして再び戦が始まれば、ひっそり形を潜め、次の平和を待つ他術もなかったことだろう。

ぼくの育った昭和30年代後半は、戦後20年にも満たない時代。

だからついこの前まで、戦地で敵と対峙した元兵士も、娑婆には溢れ返っていた。

人々は拭い去れぬ戦争の惨たらしい記憶を、年に一度の盆踊りで(みそ)いだのやも知れぬ。

ゆえにどの町内も、競い合うように櫓を組み、町中上げてのお祭り騒ぎとなった。

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その祭りに欠かせぬ立て役者と言えば、言わずと知れた「祭り男」。

いつもは目立たぬ何でもないオッチャンが、この日ばかりは浴衣姿にキリリッと角帯を締め、小粋な踊りっぷりを披露し、周りの者の目を釘付けにする。

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そんな「祭り男」が町内には、必ず一人や二人いたものだ。

近所に子どものない、幸オバチャンと旦那がいた。

旦那は定職も持たず、いつもまっ昼間から赤ら顔。

幸オバチャンは遠くの工場へ自転車で通い、家計の遣り繰りに明け暮れた。

「幸っちゃんも、あんなぐうたら亭主の事なんて打っ(ちゃ)って、もっと他にええ人見つけてやり直したらどや?何なら、ワシが世話したろか?」と、近所の世話焼きオバチャンに囲まれ、幸オバチャンは困り顔を浮かべたものだ。

ある日の事。

「どしたん、幸っちゃん、その顔!またぐうたら亭主が、手でも上げよったんか?」と、近所のオバチャン。

「違うってば。ちょっと自転車で転んだだけよ」と、幸オバチャンは顔を伏せた。

恐らくそんな暴力沙汰も、一度や二度じゃなかったはずだ。

油蝉が鳴き止み、提灯に火が燈る。

ぞろぞろと浴衣姿の老若男女が櫓を囲み、年に一度の盆踊りが幕を上げた。

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するといつものぐうたら振りなど、微塵も感じさせぬ、幸オバチャン家の旦那が、撥に酒飛沫を吹きかけ、颯爽と櫓の上へと駆け上がる。

そして浴衣の片肌を脱ぎ捨て、背中に般若の刺青を背負い、威勢の良い撥捌きを始めた。

「いよーっ!美濃の無法松!日本一!」と、ほろ酔い加減のご隠居たちが声を上げ、踊りの輪も一段と大きく膨れ上がる。

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「ねぇあれ、幸っちゃんじゃない!」。

「あかんわ、あれじゃあ!あんなうっとりした顔で、亭主の撥捌き眺めてんだから、今更私らがいらん世話焼いても無駄やわ」。

「たとえ一年364日、苦労尽くめでも、このたった一日があれば、それで(あがな)えるってわけか!あー、阿呆らしい!」。

幸せの形は一つきりじゃない。

ましてや幸せは、長さであるはずもない。

人の一生分の幸せは、生まれ出でたその時から、きっと定められているに違いない。

幸せは千差万別。

人の幸せを自分の物差しで、推し量ろうとすることこそおこがましいのだと、この歳になって幸オバチャンの気持ちがやっとわかった。

年に一度のあの粋な撥捌きは、幸オバチャンにとって、365分の364にも劣らぬ、最高に幸せな瞬間だったのだ。

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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「「昭和懐古奇譚~昭和のお祭り男」(2014.8新聞掲載)」への8件のフィードバック

  1. ♬小倉~うま~~れで玄海育ち~♬
    ♬・・・・無法松~~ぅ♬
    「無法松の一生」内容は忘れたけど・・
    昭和ならでは、純粋な松五郎の人情ドラマだったと思います?
    あんなに純粋な人は今の時代いないやろ~ぉ?
    と、思ったら、おったおった!
    それ、わしやがな~ぁ⤴
    話変わるけど
    今年インフルエンザ予防接種を予約しようと思ったら
    2件病院に聞いたけど
    ワクチンの入荷が全く分からないそうで!
    只今!思案中!
    66歳のじじいだから、感染したら重症化するの怖いもんねぇ!

    1. ええっ!ワクチン不足とは聞いていましたが・・・。
      ぼくは先月予約して、11/1にさっそくインフルエンザワクチンを打ってもらって来ました。
      だって以前は、ワクチンをちゃんと打ったのに、それでもインフルにかかっちゃったこともありましたし!
      早めに打てるといいですねぇ。

  2. 自分へのご褒美にと、LIVEや映画、ミュージカルを観に行ったり、友だちとランチをしたりするのが楽しくて幸せな時間だったんだなぁとつくづく感じているこの二年間。

    1. コロナ禍から学んだものは、確かに多い気がします。
      普通が普通じゃなくって、改めて特別なものだと感じちゃいますものねぇ。
      毎日がカーニバルじゃあ、やっぱりそれが当たり前になっちゃって、ちっともカーニバルの興奮からは程遠くなっちゃうんでしょうねぇ。

  3. そうそう 『 無法松の一生 』
    父親も カセットテープをセットして マイク持って歌ってました〜 ♬

    きつねび祭りに古川祭 1度は近くで見てみたいお祭りです (◍•ᴗ•◍)✧*。  

    ❣️私事ですが昨日 嬉しい事が❣️ 
    息子夫婦に かわい~い天使が  
    3230gの女の子 ビッグベビーでした 
    (◍•ᴗ•◍)❤ 感謝です

    父親が亡くなったのも 11月なので・・・
    あの日は ウールのセーターを着て病院に向かった事を覚えています。

    1. 新たなご家族の誕生ですか!
      それはおめでとうございます!
      きつと可愛らしい女の子なんでしょうねぇ。

  4. 時々 ブログを見て考えさせられる事がある。気付き…みたいな。
    幸せとはなんぞや。(そこからか〜い)
    幸せの形や感じ方って人それぞれだし 幸せの大きさもそれぞれ。その時に分からなくても後になってから分かる時も。
    今の私は… わからない。
    でも 人生最後の日に『幸せだったなぁ〜』って思えたなら それで良いのかも知れない。

    1. 幸せの記憶って長編の動画なんかではなく、ほんの一瞬だけ静止したそんな画像の積み重ねのようなものかも知れないですよねぇ。
      だから幸せな瞬間の記憶は、切ないくらいに愛しいのかも!

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