「母の日の肩もみ券」

物言わぬ遺品は、それ故言葉以上の雄弁さで、心の奥底へと語りかけて来るものだ。
押入れから母が仕舞い込んでいた、錆の浮いた缶箱が現れた。

中からは藁半紙やメモ用紙代わりのチラシの切れ端から、店名入りの箸袋に、マッチの空箱までがわんさか。

「何でこんなもの、後生大事に!」。

「ねぇ、今度の母の日、お母さんに何をプレゼントするの?」。
母の日が一週間後に迫る頃、隣の席の女子からそう問われた。
「うっ、うん。でもぼくお金ないしなぁ」。
「私は真っ赤なカーネーション。お婆ちゃんがこっそり、お小遣いくれたんだ」。

何てこった!
せめて母の日が過ぎて知ったならまだしも、一週間もあって知らぬ存ぜぬでは男が廃る。
そこでまず、カーネーション1本が一体いくらなのか、花屋で確かめた。
確か50円くらいだったか。
当時ぼくの小遣いは、一日に10円玉1個。
ならばこの先一週間、大好きな一文菓子屋通いを断念すれば手が届く。
しかし子どもにも子どもなりの付き合いがある。
友の誘いを無下には断れぬ。
となれば残る手段は、書道塾の行き帰りをひたすら歩き、バス代を浮かせるしか手立てがない。
あの手この手を講じ、母の日前日には、一本分のカーネーション代を作り出した。
日曜の朝、息せき切って花屋へ向かうと、何と既に前日に売り切れたと!
そんなご無体な。
となれば、50円で買える母の好物に、切り替えるしかない。
公設市場であれこれ思案するも、わずか50円の資金では、選択肢も限られる。
やっと折り合いを付けたのが、団子屋の大判焼き2個だった。

「はいよ!大判焼き2個50円」と、オッチャン。
ぼくは虎の子の50円玉を支払おうと、ポケットをまさぐった。
しかしどこにも見当たらない。
何とよりによって、ポケットの底に大きな穴が開いているではないか!
あの日の口惜しさがまざまざと蘇った。
「あれっ?この『母の日の肩もみ券』って…もしや!」。

チラシ広告裏のぎこちない「かたもみけん」の文字。
紛れも無い、小学3年のぼくの筆跡である。
そうだ!
あの日、カーネーションも大判焼きも買えず、苦肉の策で拵えたものだ。
だが「肩もみ券」の裏に、ポチ袋が貼り付けられている。
中には50円玉1個と、母の文字。
「ありがとう。お母さんみんな知ってました。母の日を祝おうと、お金貯めてたことも。でも母の日の朝、慌てて別の半ズボンを履いて駆け出してしまい、前日のズボンのポケットに、この50円玉が入ったままでした。ありがとう。その心だけでお母さんは、誰よりも幸せです」と。
折角の「母の日の肩もみ券」を、母は生涯使う事も無く、こんながらくたばかりの缶の中に、何十年と仕舞い込んでいたのだ。
だがそのがらくたこそが、幼いぼくと共に生きた、母にとっての宝箱だったのかも知れない。
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そう言えば子供からカーネーションを貰った事があったなぁ⤴️私は病院のベッドの上だったけど。そう言うのって忘れないよねぇ⤴️⤴️
そう言うことも丸ごとひっくるめての人生って事なんでしょうねぇ。
決してお手本なんて無いわけですし!
大判焼き!
またの名を「御座候」
ほんの一週間前に、岐阜高島屋で買って来て食べたばかり
平日に行ったのに10人程のお客さんが並んでいました。
職人さんが目の前で焼いているので、その作業を観ているだけでも
待ち時間も苦にならない・・
あの餡子の量で、一個95円は安いよねぇ!
ほくも何度か岐阜高島屋の地下で、買ったことがありますが、やっぱりぼくは白餡よりも漉し餡よりも、粒餡が一番ですねぇ。
乳母車やベッドの価格からすると大昔のチラシですね。いつの時代のでしょう。写っている女性も昔風です。半世紀ほど前でしょうか。
味わい深い、昔の風俗まで感じ取れるのが、そんな時代の合わせ鏡のようなチラシ広告だった気がします。
何か特別な日ではないと思ってはいるけど 子供達が考えたり悩んだりしながらの言葉だったり行動だったり贈り物などは 素直に嬉しいですね( ◠‿◠ )
でも母としては 子供達がいてくれるだけで充分幸せなんです。
「ありがとう」と言って貰えると “守り抜かなきゃ! ” と思ってしまいます( ◠‿◠ )
なかなか言えそうで言えない、一番身近なお母さんへの「ありがとう」の一言。
これはどんな言葉にも勝る、最上級の愛の言葉ですって!