Gifu Poem「女城主のご城下」と「昭和懐古奇譚」(2013.4新聞掲載)

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女城主のご城下は 百花(ひゃっか)繚乱(りょうらん)花見時

昔家並みに海鼠(なまこ)(べい) 城山(のぞ)む常夜灯

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軒の杉玉青々と 春待ち侘びて蔵開き

ちょいと利き酒足止めりゃ 頬もほんのり桜色

「逆さ返しのS字のアップリケ」

「さあ来い飛雄馬!」。

「行くぞ花形!」。

昭和半ばの少年草野球。

主役はピッチャーが巨人の星の星飛雄馬、バッターは花形満と相場が決まっていた。

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春休を終えた新学期は、春の選抜高校野球の興奮も覚めやらぬまま、プロ野球が開幕。

となれば「巨人大鵬玉子焼き」と謳われた、筋金入りの腕白小僧どもは、もうじっとなどして居られない。

ボールとバットに、仲間が4~5人集まれば、その場でプレイボール。

グローブも無けりゃ、ユニフォームなど以ての外。

唯一の野球小僧らしさは、汗で黄ばんだ野球帽くらいのものだった。

ある日のこと。

野球仲間のマー君の帽子に、フエルト生地の「S」のマークのワッペンが、燦然と輝いていた。

「S」は、巨人の星の星飛雄馬の通う、青雲高校の「S」であると同時に、ぼくらが通う千音寺小学校野球部の「S」でもある。

とかく練習が厳しいと評判の野球部に、入部する勇気も根性も持ち合わせぬ、ヘナチョコ野球小僧でも、一度は「S」字マーク入りの帽子を被りたいと願ったもの。

すかさず誰かが「どこで買ったの?」とマー君に問う。

すると「バス停前のマルエの体操着売り場や」と。

だが値段を聞いた途端、絶望的な空気が支配した。

その額なんと、1枚確か200円くらいだったか。

当時のぼくらの小遣いは、どんなに逆立ちしたところで、1日10円玉1個が通り相場。

高嶺の花のワッペンは、とても手におえぬ幻の代物だった。

その夜の夕飯時のこと。

「S」字ワッペンへの未練が断ち切れず項垂(うなだ)れていると、母が何かあったのかと。

訳を話せば「そんなもん簡単なこっちゃ!お母ちゃんに任せとき。明日までに、野球帽にちゃあんと縫い付けといたる」と。

確かに和裁や洋裁に長けた母にすれば、フエルト生地のアップリケはお手の物。

ぼくが小学校に上がり立ての頃、磨りきれたズボンの膝小僧には、チューリップやヒマワリのアップリケが、有無を言わさず施されたものだ。

それに比べれば「S」字ワッペンなんぞ、朝飯前のはずだった。

翌朝母から「ほれっ、ちゃんとSマーク付けてやったで」と、野球帽を手渡された。

その時の嬉しさと来たら、もう半端じゃない。

しかしそれも束の間。

分団の集合場所で、野球小僧たちと顔を合わせた途端。

「???」。

皆の目がぼくの野球帽の「S」字マークと、マー君が買って貰った本物の「S」字マークを、()めつ(すが)めつ眺め回しているではないか。

そして「あれっ?ミノ君のお母ちゃんが作ったS字マークって、裏返しじゃないの?」と。

参考資料

戦中派で育った母にすれば、アルファベットは紛れも無い敵性語で、遠い存在だったはずだ。

とは言え息子のためと、見よう見真似で夜鍋したに違いない。

だから「S」の字が裏返っていようが、皆にどれだけ「へんなの」と笑われようが、ぼくにとっては掛け替えのない、唯一無二の逆さ返しの「S」字マークだったのだ。

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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「Gifu Poem「女城主のご城下」と「昭和懐古奇譚」(2013.4新聞掲載)」への10件のフィードバック

  1. 巨人の星
    懐かしい、丁度、中坊時代
    こう見えて、野球小僧でした。
    当時中学の野球部の先輩の方達は非常に強くて
    甲子園出場の先輩が3人いました。春の大会はベスト4
    まぁ~⤵私は補欠だったけど!
    少しオーバーかも知れませんが
    補欠の苦しい時代があったから社会の荒波に耐えれたのかも?
    今日はエエ事言ったねぇ!

    1. 何しろ子どもが溢れ返っていた時代でしたから、そんな類まれな才能に恵まれた先輩方もおいでになったことでしょうねぇ。
      でも本当にあの頃の子どもたちは、誰もが甲子園や巨人軍の選手に憧れを抱いたものでしたものねぇ。

  2. 小学生の頃。大人気の野球部には入れなくて、2軍だったソフトボール部在籍だった私。

    1. そうでしたよねぇ。
      なんせ野球部へ入部するには、倍率がものすっごく高かったですものねぇ。

  3. 女城主の城下町は岩村ですか。岩村の松浦軒のカステーラをお土産にいただいたことがあります。歯応えが有る美味しいカステーラでした。

    1. ぼくは岩村城を模した陶器の器に入ったお弁当を食べた記憶があります。
      カステーラはまだ味わったことが残念ながらありませんねぇ。

  4. 熱燗の好きなオカダさん 昨夜は熱燗で『グイッ』でしたか? 

    過ごしやすい 春と秋を感じられる日々が段々と少なくなり 寂しいですね 
      ( ❝Ó╭╮Ò” )
     

    オカダさんのお母様 オカダさんの為に 愛情込め色々手作りされていて 優しいお母でしたよね ♥
    だから お母様との想い出もいっぱい いっぱい  ( ◜‿◝ )♡

    『巨人の星』が大好きな姉 
    部屋には漫画本がズラッと並んでいたり、Sマークの野球帽を被って キャッチボールしていました (θ‿θ) 

    私の中で Sマークは 『スーパーマン』かな(◍•ᴗ•◍)❤ 
     

    1. 胸におおきな「S」マークのスーパーマン。
      これも憧れたものでしたねぇ。
      でもさすがに、メリヤスシャツの胸の所にマジックで、大きな「S」マークを描く勇気はありませんでしたぁ。

  5. 私自身が小さい頃のアップリケ体験は 覚えてないけど 我が子供達には ジーパンの膝小僧の部分とか手提げ袋にアップリケ付けてました。
    もうこの頃には アイロンをあてるだけで完成だったので 楽でした( ◠‿◠ )
    選ぶ時も楽しくて…。
    手芸店 もうず〜っと行ってないなぁ。

    1. アイロンで貼り付けるアップリケビックリでした。
      娘が幼稚園に通う前、娘の通園荷物に名前の入ったシールのようなものを、アイロンで貼り付けてましたねぇ。

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