昭和がらくた文庫68話(2016.07.28新聞掲載)~「儚き命の夏花火」

長良川国際会議場 大ホールでのLiveより

打ち上げ花火を眺める度、その都度思い出す光景がある。

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母を亡くし10年ほど経った頃であったろうか?

三重県松阪市の西の外れにある、従兄妹の家の縁側での事だ。

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年老いた叔母と二人、蜩がカナカナカナと鳴く声を聴いていた。

この従兄妹の家で小中学生のころ、夏休みの大半を家族同様に過ごしたものだ。

連日明けても暮れても、従兄妹の姉に付き纏い、虫捕りや川遊びに高じた。

だから叔母は夏休みの間、まさにぼくにとっての母替わりだったのだ。

「ちょっと、ミノ君。いつまでも寝とらんと、鰹節削っといてぇな」と、台所から叔母の声がする。

ぼくは寝ぼけまなこのまま、鰹節削り器の木箱の引き出しを開け、ちびた鉛筆ほどの鰹節を取り出す。

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そして鉋をひっくり返したような刃にあてがい、恐る恐るカリカリと音を立て乍ら削り始める。

すると従兄妹の姉に向かって「ミチコや。よう見といてな!大事な預かりもんのミノ君に、怪我させたらかなんで」と、毎朝のように叔母は、決まり文句を口にした。

「あの頃のあんたは、ちっとも宿題せやんと、朝から晩まで、ミチコと川入ってばっかりやったなあ」。

懐かしそうに叔母がつぶやいた。

西の山の端に夕日が傾く。

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ふと眺めた叔母の横顔には、いつの間にか年輪のような皺が、深く刻み込まれていた。

「それにしても和ちゃんは、ええ時に死んで幸せやったわ。あたしらなんて足腰も衰え、耳もだんだん聞こえやんようになって来るし、もう目もよう見えやんし」。

和ちゃんとは、64歳でこの世を去ったぼくの母のことだ。

「いっそ夏の夜を焦がす、あの花火の様に、美しい姿のまんま、消え入った方が幸せやったんかも知れやん。この歳まで生きて来ると、つくづくそう思えてならんのやさ」。

叔母は燃え尽きようとする黄昏を見つめながら、まるで独り言のようにつぶやいた。

確かに然り。

花火も黄昏も、燃え尽きるその寸前が、何より最も美しい。

叔母の言葉に、天命とやらの戯れを感じずにはいられなかった。

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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「昭和がらくた文庫68話(2016.07.28新聞掲載)~「儚き命の夏花火」」への13件のフィードバック

  1. 昨夜はゴミ箱がガタガタと音をたてていたので先日の強風のように蓋がまた風で飛ばされる音だと思い外にでてみると
    なんと 打ち上げ花火の音でした。こんなにも山の中では見えないと わかっていても音を頼りにぐるりと回って見ると

    サプライズ花火を見る事が出来ました。一輪 一輪 中には
    おヒゲも見えたようなので いちドラえもん風と とても丁寧に打ち上げてくださって
    いるようで心に染みました。

    そんな翌朝にオカダ様の
    「夏花火」をありがとうございます。

    1. サプライズ花火って不意打ちだからこそ、偶然夜空に咲いた大輪を目にすると、物凄く幸せな気になりますものねぇ。
      良かったじゃないですか!

      1. はい、ありがとうございます。
        調子に乗って 後日 浴衣なんぞを引っ張り出し秋の虫の音にもあうように鷺草の浴衣を着物風に着付けて姉に会いに行ってきました。私のサプライズにとっても喜んでくれました。
        なんといっても 姉の仕立てた着物は着やすいのです。

  2. 昨夜は郡上 高鷲で花火ショーが お盆中には 帰省できない人や医療従事者の為に! と テレビでも (◍•ᴗ•◍)❤ 
     ど~ん! バーン! パチパチ!
     (◠‿・)—☆ 

    私は少し遅めの夏休み真っ最中 (✷‿✷)
      
    小さな怪獣君達との時間のはずが ・・・ 。:゚(;´∩`;)゚:。
    『 お正月は絶対に会える❣️ 』 と信じながら 今年も 24時間テレビを見ながら、励まされたり、泪したり、今のままで良いの? 等 自分を見つめ直す時間となっています。 

    1. いつでも逢えるってことは普通の事じゃないんだと、コロナにまざまざと教えられたような気になっちゃいますよねぇ。
      だからこそ、逢えたひと時こそが、お金を積んでも手に入らない、奇跡的な一期一会と思って、コロナを乗り越えた後に誰かとお逢いできた時は、そう思って大切なひと時を過ごしたいものです。

  3. 子供の頃ってさぁ~
    今みたいにかつお節がパックに入ってなかったから
    我が家では、かつお節削りは子供の役目でした。
    でも、出し汁取る時は煮干しが多かった。
    その煮干しは捨てずに、乾燥させて、おやつとして食べていた。
    味も素っ気もなかったけど、美味しかった!

    1. 煮干しは大切な大切なアミノ酸の素でしたものねぇ。
      落ち武者殿がお召し上がりになったという、出汁を取った後の煮干しをまた干して、おやつになさっていたとは、フードロスの鏡じゃないですかぁ!あっぱれ!
      わが家では、老犬ジョンの餌として、みそ汁かけご飯に、出汁を取った後の煮干しを入れていたものです。

  4. コロナ禍になってから 時々ホントに時々思います。
    思い残す事のないよう… 悔いが残らないように… なにより子ども達の終の住処を決めてから燃え尽きようと。
    花火のように終われたなら。
    難しい課題が山積みだけど 自己管理をしっかりしながら 人垣をたくさん作り親子共々次のステージを目指すぞ〜( ◠‿◠ )

    1. ちゃんと神様は、コロナの次のステージをご用意になっていてくださいますとも!

  5. 幼少期はかつお節は店で削ってもらった記憶があり、そのうち我が家でもかつお節削りを買って使ってました。今ではパックだけですね。来年こそは長良川の花火大会が開催されることを願ってます。

    1. 削り立ての鰹節とお醤油に炊き立ての白いご飯は、それだけでもう十分ご馳走ですよねぇ。

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