大晦日から新年のご来迎を、インドの地で迎えた。

二十世紀が二十一世紀に変わるその瞬間。
しかも釈迦成道の地、インド・ビハール州ブッダガヤに、新聞の取材で訪ねた2000年の大晦日。

それを遡る20年前。
ブッダの里にある日本寺の青年駐在僧が、2年の任期を終えた。
彼は帰国に際し、世話になった貧しいマスティープールの村人らに、お礼としてカレーを振舞った。
それから20年。
当時子供の頃に、彼が振舞ったカレーを食べたという少年が大人となり、ブッダの里の土地を彼に寄進したいと願い出た。
そこに寺や宿坊を建て、もう一度子供の頃のような、夜通し飲んで食べてのカリーパーティーを開いてくれないかと。
1杯のカレーが紡いだ不思議な縁。
寺院建築が始まりカリーテンプルと名付けられた。

その竣工披露を兼ねた、世紀越えのカリーパーティーの、取材に出向いたというわけだ。
大晦日のこの夜、チキンカレーが無料で振舞われると聞き付け、隣村からも約千人近くの老若男女が、カリーテンプルを取り囲んだ。
闇に浮かぶ群衆は、無秩序に道路へと鈴なり。
開場時の混乱を想うと心が騒いだ。
そんな心配をよそに、開場となった。
するとどうしたことか。
中庭には300人ほどが整然と列を作り、村人たちが地べたに座り込み、バナナの葉の皿に、カレーが盛り付けられるのを、嬉々として待ち構えているではないか。
しかもいずれも、女子供と老人ばかり。

30分ほどで客が入れ替わった。
するとまたしても、女子供と老人ばかりである。
入口に屯し焚き火に当たる男に問うた。
すると「女子供や老人に先を譲るのは、当たり前だろ?元気な男共は後でいい」と。
入場整理券も無ければ、物々しい警備員もいない。
だが我先にと先を争う混乱など、何一つ無かった。
ヒンドゥー教徒にとって釈迦は、9番目の神とか。
一見貧しそうに思えたインドの村人たち。
ところがどっこい、ぼくなんぞ足元にも及ばぬほど、慈悲深く心豊かで偉大であった。
村人たちの年忘れ。
世紀越えカリーパーティーは、21世紀のご来迎まで続いた。
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心温まるお話、ありがとう!
今でも忘れられない世紀越えでした。
カレー大好き!
我が家のカレーに入れる肉は「合挽ミンチ」を使います。
何故か?
小学校の頃、家庭科の授業の時に・・
各グループでカレーを作る事になり
皆さんご存知、僕の初恋の相手「真理ちゃん」が一言、言ったんです。
「家はねぇ!お肉はひき肉を使うの!」
ハナ垂れモもっちは「ひき肉」なんて初めて聞く言葉でしたが
お調子者のもモっちは、二つ返事で「うん⤴ひき肉大賛成!」
月日が経って嫁にはカレーの肉は、合挽ミンチを入れてもらっています。
エエ話やぁ~ん⤴
いわゆるキーマカレーっぽい、食べやすそうなカレーじゃないですかぁ!
「真理ちゃん」キーマカレーってぇやつですか!
ちょっぴり初恋の甘酸っぱさが感じられそうですねぇ。
一日3食カレーでも大丈夫と言う人もいるでしょうが、朝からカレーはちょっと・・・。2日間続けては行けます•̀.̫•́✧
ぼくは朝からカツカレーでも平気です。
毎日新聞の取材で3回のべ3週間ほどインドに滞在しましたが、もちろん毎日3度ともカレー三昧でした。
しかしどれ一つとして同じカレーではなく、それはそれは奥深い美味しさでした。
お高いナンよりはほとんど食べることなく、庶民的なチャパティー、そしてもう一つ田舎風のロティ。
いずれも忘れられない美味しさでした。
笑顔いっぱいの写真 いいですね( ◠‿◠ )
美味しいものを食べるとみんな笑顔になるんですよね。
あと何より 二十年前の行いが人々の心に残り また笑顔にする事が出来る。
凄い事ですよ。
ずっとずっと語り継がれていくんでしょうね。
とにかく無秩序のような光景ですが、連綿と受け継がれて来られた崇高な秩序の存在に、心震えたものです。
かつての日本の様に。
今の日本はとても恥ずかしい限りですもの。