「♪ケセラセラなるようになる♪」。
この歌をよく母は口ずさんでいた。
ドリスデイの名曲「ケセラセラ」だ。

日本では昭和31年に、ペギー葉山がカバーし、一躍ヒットとなった。

「ケセラセラ」とは、「なるようになる」を意味するスペイン語と言われたが、その実スペイン語圏に、そんな言葉は見当たらないとか。
しかし「ケセラセラ」は、その呆気らかんとした語感の響きの良さからも、「なるようになる」と言う能天気さが、まだ戦後の傷も癒えぬ時代に、受け容れられたのではないか?
ともかく母は、哀しい事や辛い時、心が塞ぎ込み折れそうになる度、自らを奮い立たせんと、呪文のように口ずさんだのだろう。
今だから母の思いが痛いほど分かる。
そもそも歌は、心身に多大な影響を及ぼすとされる。
英国の神経学者、オリバー・サックスが記し、後にロバート・デニーロ主演で映画化もされた「レナードの朝」でも、それらの現象が描写されていた。

嗜眠性脳炎(常に睡眠状態に陥る状態)の患者でも、音楽が鳴っている間は、ダンスに興じたり、歌ったり出来るものの、音楽が鳴り止むとその途端、まるで魔法から覚めたように力も消え入るとか。
一方「歌う」の語源は、民俗学者にして国文学者で、国語学者でもあった折口信夫によれば「うった(訴)ふ」なのだそうだ。
歌と言う行為には、相手に伝える内容があるからこそ、「うったふ→うった→うた」と変化したと。
また、国文学者の徳江元正によれば「うた」とは、言霊(言葉の持つ霊力=言の葉)により、相手の魂に影響を与えると言う。
つまり相手の魂を激しく揺さぶる、「打つ」に由来するのだそうだ。
なるほど歌に込められた言の葉には、魂が宿る故、聴く者の心を鷲掴みにして離さなぬ。
だからか、母が「おー、よしよし」と腹や背を摩ってくれた、あの呪文の言葉に似た、絶大な癒しの効果があるのは。
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『ケセラ セラ』
以前 勤めていた会社の上司で 今 80歳代前半は 私が呑み会で愚痴ると 何時も 『ケセラ セラ』だから そんな事気にするな!とか よく 『ケセラ セラ』 と 言われましたが、当時の私には『チンプンカンプン』(´⊙ω⊙`)!
そんな私も最近 『ケセラ セラ』と ひとり言? おまじない? が 多くなりました (◍•ᴗ•◍)❤
今朝 お墓参りに行ってきました
本堂でお経もあげて頂け ほっ ❣️
何だか大変な大雨ですが、雨の止み間を利用してお墓参りをされましたかぁ。
ぼくは昨晩ベランダで松明を焚いて迎え火をいたしました。
ホント!
悩んでみても、なるようにしかならない事は分かっているんだけどぉ⤵
悪あがきして焦るんだよねぇ!
まぁ~⤴性格ってのもあると思うんだけど・・
もう⤴エエ年なんだから、しっかりと
腰を据えて、これからの人生を生きたいもんですぅ!
多分?出来んやろな~ぁ!
でも昔の江戸時代までの人々の多くは短命だったようですから、60歳過ぎのぼくらは、おまけのような人生なんじゃないでしょうか?
だったら残りの人生は思いのままに!
周りには あっけらかんとした感じでガハハッと笑ったり 息子にも『 大丈夫!』と言ってみたりしてるけど 本当のところは…。
性格ですね(笑)
あと数年後には ケセラセラの人生が待っていると信じて もうちょっとだけ頑張ってみるとしましょう( ◠‿◠ )
「ケセラセラ」は自分を励ます魔法の言葉のような響きさえ感じられますよねぇ。