昭和がらくた文庫41話(2014.4.24新聞掲載)~「ゼロ戦に積んだウイニングボール」

神風特別攻撃隊のゼロ戦と伴に、沖縄沖に沈んだウイニングボールがある。

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それは昭和11年、夏の全国中等野球大会を制した、岐阜県立岐阜商業高等学校(岐阜商)ナインの汗と涙が染み込んだ尊いボールのことだ。

神田町通りを、伊奈波神社へと向かう凱旋パレード。

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沿道には深紅の大優勝旗を一目見たいと、大勢の市民が詰めかけた。

喝采を浴び声援に応える、ナインの誇らしげな表情。

恐らく誰も、やがて己が身を以って、ベースボール発祥の米国艦隊に、体当たりするなど、努々思いもしなかったろう。

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しかし翌年には、束の間の平和を嘲笑うかのように、盧溝橋で戦端が開かれ、泥沼の坂道を地の果へと転げ落ちて逝った。

岐阜商ナインの一人、遊撃手の近藤清さんは、昭和20年4月28日、神風特別攻撃隊の一員として、水杯を交わしゼロ戦に乗り込んだ。

葉桜となった、手折りし桜の一枝と、夏の甲子園を制したウイニングボールを握り締め。

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鹿児島国分第二基地から桜島上空を掠め、やがて錦江湾へと差し掛かる。

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特攻隊員の誰もがそうであったように、故国の見納めとばかりに、桜一枝を窓から手向け、沖縄沖へと向かったことだろう。

戦争は多くの若者たちの、夢や希望、そして父や母、兄弟姉妹との絆をも断ち切り、惨たらしい死地へと追いやる、とてもこの世のものとは思えぬ、悪魔の所業だ。

近藤は、最後の最後まで、薄れ逝く意識の中で、ウイニングボールをその手に握り締めていたに違いない。

先に散ったチームメイトたちと、もう一度天国で、心行くまで野球がしたいと。

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「近藤さん!岐阜商優勝メンバーの皆さんとは、逢えましたか?もう誰に憚る事も無く、野球を楽しんでおられますか?」。

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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「昭和がらくた文庫41話(2014.4.24新聞掲載)~「ゼロ戦に積んだウイニングボール」」への6件のフィードバック

  1. 遠い昔から行われていた戦い。
    どうして? 何の為に? 人が人を…。
    現代で言うなら ネットの中での姿なき言葉の刃か⁈
    だめなんだよ…
    手を取り合うまんまるスマイルな世界にいつかなるのかなぁ〜?

    1. 人間ってつくづく愚かな生き物だと、戦争の歴史を紐解く度に思い知らされる気がいたします。
      それも公に記録された戦争の記録ではなく、市井の民が朴訥と語った戦争の語り草に耳を傾けると。

  2. やはり、夏は高校野球が風物詩
    昭和10年代20年代はそんな呑気な事を言っていられなかったでしょう!
    平和な時代でつくづく良かったと思います。
    岐阜は明日決勝戦 県岐商VS市岐商
    ホント!暑いのにご苦労様です。
    私なんか朝の1時間のウォーキングだけでも、ヘロヘロ(>_<)
    だから9月迄は30分に短縮!
    なんか?冬だけではなくて、夏でも脳梗塞が多いそうです!
    オカダさんも気を付けて下さいよぉ!

    1. そうなんですか!
      あ~あ、コロナに熱中症、それに脳梗塞ですかぁ!
      そう言えば頭部のMRIを撮ってもらったら、「過去に出来た小さな脳梗塞の痕ですねぇ」なぁ~んて、言われて驚いちゃったことがありました。
      用心用心!

  3. 以前ヤンスタでオカダさんが特別に朗読リクエストに答えて頂いた感動的な文章ですよね。
    読んで頂いて嬉しかった思い出があります。
    今の若い世代にもずっと語り継いで行きたい内容ですね!

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