昭和がらくた文庫40話(2014.3.27新聞掲載)~「憧れの背番号『1』」

昭和半ばの男坊主どもは、見渡す限り野球少年だった。

帰宅すると玄関にランドセルを放り投げ、広場へと繰り出した。

まさに「巨人、大鵬、玉子焼き」時代。

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満足な野球道具等無い。

それでもブニョブニョのゴム毬1個と、友の一人が親にせがんでやっと買って貰った、安物のバット1本さえあれば、直ぐにプレーボール。

誰もが皆、憧れのプロ野球選手になり切って、バッターボックスに入る時も、守備に就く時も、憧れの選手の名と背番号を、口々に名乗り合う。

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もっぱら当時の趨勢は、ジャイアンツの王や長島。

従って同じチームには、何人もの王や長島が犇めいた。

ぼくはと言えば、もちろん背番号「1」。

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だが王ではない。

職人のような華麗なグラブ捌きから、燻し銀の小兵と渾名された、ドラゴンズの名二塁手高木守道である。

なにゆえ憧れの選手が高木だったかと言えば、近所にいた熱血ファンのオッチャンの影響。

「高木の見事なグラブ捌きにゃあ、本当に惚れ惚れする。しかし『燻し銀の小兵、高木守道』とは、よう言うたもんだ」と、大層な称えよう。

大人たちの絶賛振りにすっかり絆され、ぼくは「背番号1。ドラゴンズ高木守道」と、大声で名乗ったものだ。

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ある日の打席。

バットを思い切り振り抜くと、出会い頭にジャストミート。

打球は広場の向こう側の、川の中へと消えた。

文句無しの場外ホームランである。

だが試合は敢え無く中断。

敵も味方も入り乱れ、ボール探しにやっきになった。

なぜならボールはそれ1個きり。

何としても探し出さねば、試合が続行出来ない。

川面に浮かんだボールを、竹竿の先で手繰り寄せようと何度も試みる。

しかしその都度、ボールはスルリと身を(かわ)す。

ついに日暮れになっても見付けられず、日没試合終了。

誰もが夢見たプロ野球選手への憧憬。

まるで川面で身を躱した儚いボールのように、どんなに足掻いて見たところで、容易に夢に手は届きはしなかった。

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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「昭和がらくた文庫40話(2014.3.27新聞掲載)~「憧れの背番号『1』」」への10件のフィードバック

  1. 誰が聖火台に点火するのかを見たくて、リアルタイムでオリンピックの開会式をテレビで見ました(長かったぁ!!)
    聖火を絆ぐ人たちの中に、長嶋茂雄さん、王貞治さん、松井秀喜さんの三人の登場にビックリ!松井さんに支えられてしっかり歩く長嶋茂雄さんの姿に、ほろり。

    1. ぼくは五輪にまったく興味がわかなくって、Newsやネットの記事のヘッドラインだけ見ているような状態です。
      長嶋さんのあのおいたわしいお姿は、見世物にすべきじゃないかも知れませんよねぇ。
      昭和を彩った永遠のミスタージャイアンツなんですから。

  2. 子供達の草野球!
    懐かしいねぇ・・
    誰が?呼ぶって事ないけど、近所の悪ガキ共が自然に集まって
    人数なんて、せいぜい5~6人しか集まらないので
    グーとパーのジャンケンで敵味方を選んで
    誰が?ルールを作ったのか?
    1塁と3塁の三角ベースでキャッチャーは無し
    負けると悔しくて何回も何回も延長戦!
    今思うと、物凄く楽しかった!

    1. 昭和の男坊主は、必ずと言っていいほど、皆が皆通った道でしたものねぇ。
      死ぬまでにもう一度やって見たいって思いますが、一塁までゼーゼー言わせながら、必死に走らなきゃならないかも知れませんよねぇ。

  3. 姉は どうしてか??
    昔っから 大鵬、巨人が大好き!
    部屋には 少年ジャンプやサンデーが
     (。•̀ᴗ-)✧

    巨人が負けると ご機嫌ナナメ !!
    今も現役 毎週 ソフトボールでストレス発散 (•‿•) 

    東京オリンピック 開会式でのトーチリレー での 王さんと長嶋さん ステキ    輝いてましたね  (◠‿・)—☆

    うるうるしちゃいました •́ ‿ ,•̀

    元気もいただきました ❣️

    1. それにしてもお姉さまはアクティブですねぇ。
      上野投手も真っ青じゃないですか?

  4. 中学生になると 当時流行っていた漫画『エースをねらえ!』に憧れて 即テニス部に。憧れの先輩にボールを手渡す時は もう嬉しくって( ◠‿◠ )
    同じグラウンドでは 野球部の同級生(片想い)がランニングしてたりして。
    ドキドキしながらも ボールを追いかけてラケットを振る毎日…
    青春だ〜!

    1. 青春時代はご多感だったんですねぇ。
      でもそれが青春の青春たる証ですものね。

  5. 当時、男子は皆野球でした。テレビの「巨人の星」の影響、大でした。小学校では野球部の人気が凄くて入れなくて、ソフトボール部に入っていました。あと、ニワトリの世話をする、今で言うところの「いきものがかり」もやった記憶があります。

    1. そうでしたよねぇ。
      ぼくも小学校の野球部に入りたかったのに、とてもとても希望者が多すぎて、入れなかったものです。
      ぼくもウサギやニワトリの飼育係を拝命したことがありました。

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