昭和がらくた文庫38話(2014.1.23新聞掲載)~「寿司折は梯子酒した罪滅ぼし」

誰しも子ども時代には、子どもならではの夢を見たことだろう。

大人からすれば、どんなに割に合わずとも、そこには打算を持ち合わせぬ、子ども故の健気な夢があった。

差し詰めぼくの夢は、背広姿のサラリーマン。

仕事の付き合いで、ついつい梯子酒。

妻子に済まぬと、寿司折をぶら下げ、終電の吊革に揺られ千鳥足。

「今帰ったぞー」と、玄関で大声を放つ。

すると慌てて妻が飛び出し、ぼくを迎え入れる。

亭主を差し置き先に床にも入れず、炬燵で転寝だったに違いない。

ぼくは「上司の誘いを断れず、つい梯子酒になった」と言い訳を連ね、寿司折の包みを開く。

写真は参考

すると寿司は皆、折の片側に寄り、もはや原形など留めてはいない。

―そんなリアルな夢であった。

だが残念にも、夢は何一つ叶ってはいない。

毎年1月のこの頃になると、必ずその夢を思い出す。

昭和の半ば、父は鉄工所に勤務していた。

その新年会が、1月の半ば過ぎに開かれていたのだろう。

飲んで帰る事など、まずもって無かった父。

だから赤ら顔して、寿司折をぶら下げて帰るのは、年にその一度っきり。

まさか小遣いも少ない父が、気を利かせ握らせた代物ではない。

恐らく会社が家族への手土産にと、用意した品であったろう。

その夜わが家の食卓には、お澄ましだけが用意され、父の帰りを待ち侘びたもの。

だが、いざ寿司折を開くと、必ずや家族で口論となった。

写真は参考

高価なネタから、まずはぼくと父に先に摘めと母が促す。

逆にぼくは母に真っ先に食べて欲しいと。

父は父で、「もう宴席で食べたから、玉だけ一貫」と言い張るせめぎ合い。

尤も子どものぼくには、鮪や海老より、稲荷や玉の方が遥かに好みだったわけであったのだが。

それにしても、一折わずか10カン足らずの、歪に変形した握り寿司。

家族で譲り合って箸を付けた、あの歪な寿司の格別な味は、未だに忘れられはしない。

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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「昭和がらくた文庫38話(2014.1.23新聞掲載)~「寿司折は梯子酒した罪滅ぼし」」への12件のフィードバック

  1. おひまち(寄り合い)全部方言?かもご苦労様会に折りが出るようになってからは父がお酒を飲んだら食べれんでと折を持って帰って来てくれて
    蓋を開ける時が楽しみだった
    事を思い出しました。

    なんだか ほのぼのとして
    いいですよね。

    1. たまぁ~にしかありませんでしたが、お父ちゃんが会社からいただいてきた、料理や生菓子の折を開くときは、そりゃあもう楽しみでなりませんでした。

  2. ♬サラリーマンは気楽な稼業ときたもんだぁ⤴♬
    確かに!昭和の時代はそうだった!
    会社の為にがむしゃらに働いていた。
    オカダさんはサラリーマンはムリでしょう?
    背広にネクタイ姿、想像がつかない!
    オカダさんの事だから・・
    仕事終わりに「プッハァ~⤴」ってしたいだけでしょう!

    1. そうですとも!縄暖簾をくぐって、ネクタイを緩めてビールをプッハァ!
      それでやっと仕事モードから解放されるってなもんですよねぇ。
      ぼくだって一応ネクタイを数本持ってますって!
      ただ箪笥の肥やしですけどねぇ。

  3. ブログを読んで思い出したのは『サザエさん』です。 確か 波平さんが同じような事をしてたような…( ◠‿◠ )
    あ〜ダメだ〜。今 お酒を飲んだうえに 子供達の父親が23時帰宅。
    何かコメントを書くと愚痴になっちゃう(笑)
    私の健気な夢… もう一回探そうかな⁈

    1. さすがにぼくも、何とコメントをお返しすべきか?
      悩んじゃいましたぁ。
      でも強がってばかりいると、心がポキッと折れちゃうといけませんから、嫌なことは考え過ぎずに、ただただ柳の様にその時々の風に身を委ねることだって必要かもしれませんよねぇ。

  4. 景気の良い頃は 部下や同伴のお姉様にも 上折のおみやを持たせてあげてましたよっ ☆ 

    幼少の頃 『お待たせしました!』と 私が手渡すと 『お手伝いか、偉いね! ありがとね!』と お偉い様が私にお駄賃を500円か1000円をくださいました (◍•ᴗ•◍)❤

    あ〰〰〰  外食したーい (╯︵╰,)

    カウンターで時価のお寿司 食べた〰〰い (。ŏ﹏ŏ)   

    お寿司には ぷっファ~ ビールよりも 日本酒ですね ❣️

  5. I love what you guys tend to be up too. This sort of clever work and coverage!
    Keep up the superb works guys I’ve included you guys to blogroll.

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