昭和がらくた文庫36話(2013.11.21新聞掲載)~「有り合せ毛糸の手編みのセーター」

昭和の半ば。

霜月に入ると母は、夜鍋を始めた。

押入れの奥から、煙草の火の不始末で穴の開いた父のセーターや、母が独身時代に着ていたと言う、古ぼけたセーターを引っ張り出し、やおら(ほど)き始めるのだ。

その度ぼくは、両肘から先を直角に突き立てさせられ、(かせ)()り役を仰せつかった。

写真は参考

「あんたのセーター編むんやで我慢我慢」と。

しかし数分も経たずして、二の腕がブルブルと震え出す。

「何やの情けない!男の子やったら辛抱辛抱」と、情け容赦もない。

そして直径30~40センチほどの毛糸の束が出来上がると、それを大きな鍋で熱湯に浸した。

そうして編み癖のついた毛糸を、真っ直ぐ伸ばし乾かすのだ。

それを眺めながら、ぼくのセーターとはまやかしで、もしや毛糸が煮物に化けはせぬかと気が気ではなかった。

そしてやっと何種類もの、色や太さの違う毛糸玉が出来上がる。

すると炬燵で母が、竹の編み棒を巧みに操り、セーターを夜鍋で編み上げてゆく。

炬燵に潜り込み、鼾の二重奏を奏でる、父とぼくの傍らで。

卓袱台の上に並んだオムライスと、バタークリームの小さなバースデーケーキ。灯された蝋燭を吹き消すと、「誕生日おめでとう」と両親の声。

母は夜鍋で仕上げたばかりのセーターを、得意げに羽織らせた。

写真は参考

色も太さもまちまちな、有り合せの毛糸で仕上げた、奇妙な色柄模様のセーター。

しかし当時の子どもは、いずこも同じ。

差し詰め現代なら、その突飛なデザインに、むしろ斬新と若者から羨まれたろうか。

そんな継ぎ接ぎだらけのセーター。

だが木枯らしに煽られる度、父や母の香りがほんのり漂うようで、底抜けに暖かだった。

今宵は底冷えか。

ならば記憶のアルバムを紐解き、あのセーターを心に着こみ、せめて気分だけでも温まるとするか。

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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「昭和がらくた文庫36話(2013.11.21新聞掲載)~「有り合せ毛糸の手編みのセーター」」への6件のフィードバック

  1. オカダさんのお母さんは
    夜鍋してセーター編んでくれたんでしょう!
    良い想い出です!
    でもさぁ~⤴
    なんかさ~ぁ⤴
    ♬母さんが夜鍋して手袋・・♫
    ♬着てはもらえぬセーターを・・♬
    歌で、あったよねぇ!
    さしずめ、題名は「北の宿から母さんが」
    なんて!どおよぉ!

    1. さすがに昭和の時代を雄々しく生きられた、落ち武者殿ですなぁ!
      天晴れ天晴れ!

  2. 私も子供の頃、人間かせくり機をさせられましたよ。あれ、辛いんだよねぇ。腕、疲れるんだよねぇ。あの頃は、使い捨てなんて言葉は無かったよね。

    1. 「使い捨て」って言葉って、よくよく考えたら恐ろしい言葉ですよねぇ。
      少なくとも戦争のただなかを生き抜いた、ぼくのお父ちゃんやお母ちゃんは、例えどんなものであったにせよ、とても「使い捨て」たりは出来なかった気がします。

  3. いいですね〜
    あったかい雰囲気が目に浮かびます( ◠‿◠ )
    夜鍋で編み物をするって大変なようだけど 意外と楽しいんですよ。
    特に誰かの為に編むなら尚更。シーンとした静けさの中 その方の事だけを考えニッコリしながら編んでいく。その空間や時間全てが愛おしい…って感じ♡

    1. 静けさの中、何かを黙々とやっている時って、自分と自分が向き合えている貴重な時間でもあるんですものね。

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