昭和の半ば。
霜月に入ると母は、夜鍋を始めた。
押入れの奥から、煙草の火の不始末で穴の開いた父のセーターや、母が独身時代に着ていたと言う、古ぼけたセーターを引っ張り出し、やおら解き始めるのだ。
その度ぼくは、両肘から先を直角に突き立てさせられ、桛繰り役を仰せつかった。

「あんたのセーター編むんやで我慢我慢」と。
しかし数分も経たずして、二の腕がブルブルと震え出す。
「何やの情けない!男の子やったら辛抱辛抱」と、情け容赦もない。
そして直径30~40センチほどの毛糸の束が出来上がると、それを大きな鍋で熱湯に浸した。
そうして編み癖のついた毛糸を、真っ直ぐ伸ばし乾かすのだ。
それを眺めながら、ぼくのセーターとはまやかしで、もしや毛糸が煮物に化けはせぬかと気が気ではなかった。
そしてやっと何種類もの、色や太さの違う毛糸玉が出来上がる。
すると炬燵で母が、竹の編み棒を巧みに操り、セーターを夜鍋で編み上げてゆく。
炬燵に潜り込み、鼾の二重奏を奏でる、父とぼくの傍らで。
卓袱台の上に並んだオムライスと、バタークリームの小さなバースデーケーキ。灯された蝋燭を吹き消すと、「誕生日おめでとう」と両親の声。
母は夜鍋で仕上げたばかりのセーターを、得意げに羽織らせた。

色も太さもまちまちな、有り合せの毛糸で仕上げた、奇妙な色柄模様のセーター。
しかし当時の子どもは、いずこも同じ。
差し詰め現代なら、その突飛なデザインに、むしろ斬新と若者から羨まれたろうか。
そんな継ぎ接ぎだらけのセーター。
だが木枯らしに煽られる度、父や母の香りがほんのり漂うようで、底抜けに暖かだった。
今宵は底冷えか。
ならば記憶のアルバムを紐解き、あのセーターを心に着こみ、せめて気分だけでも温まるとするか。
このブログのコメント欄には、皆様に開示しても良いコメントをドンドンご掲示いただき、またその他のメッセージにつきましては、minoruokadahitoristudio@gmail.comへメールをいただければ幸いです。
オカダさんのお母さんは
夜鍋してセーター編んでくれたんでしょう!
良い想い出です!
でもさぁ~⤴
なんかさ~ぁ⤴
♬母さんが夜鍋して手袋・・♫
♬着てはもらえぬセーターを・・♬
歌で、あったよねぇ!
さしずめ、題名は「北の宿から母さんが」
なんて!どおよぉ!
さすがに昭和の時代を雄々しく生きられた、落ち武者殿ですなぁ!
天晴れ天晴れ!
私も子供の頃、人間かせくり機をさせられましたよ。あれ、辛いんだよねぇ。腕、疲れるんだよねぇ。あの頃は、使い捨てなんて言葉は無かったよね。
「使い捨て」って言葉って、よくよく考えたら恐ろしい言葉ですよねぇ。
少なくとも戦争のただなかを生き抜いた、ぼくのお父ちゃんやお母ちゃんは、例えどんなものであったにせよ、とても「使い捨て」たりは出来なかった気がします。
いいですね〜
あったかい雰囲気が目に浮かびます( ◠‿◠ )
夜鍋で編み物をするって大変なようだけど 意外と楽しいんですよ。
特に誰かの為に編むなら尚更。シーンとした静けさの中 その方の事だけを考えニッコリしながら編んでいく。その空間や時間全てが愛おしい…って感じ♡
静けさの中、何かを黙々とやっている時って、自分と自分が向き合えている貴重な時間でもあるんですものね。