昭和半ばを逞しく生き抜いた、腕白坊主にお転婆娘。

そう言われて、ふと懐かしが込み上げた読者もおいでであろう。
腕白坊主にとって、真っ黒な日焼けが勲章ならば、肘の内側や首筋、それに膝っ小僧の裏側に溜まる、土埃と汗で固まった真っ黒い筋は、将校の肩章さながら。

方やお転婆娘の金鵄勲章と言えば、膝や肘の擦り傷に、ベッタリと塗られた赤チンの数だった。

当時の親たちは良くも悪しくも、半ば謙遜と自嘲を綯い交ぜにしたように、「家の倅は、まったくもって腕白でして…」とか、「家の娘ときたら、これがとんでもないお転婆で…」と、時候の挨拶代わりに、枕詞の常套句としたものだ。

だがその「腕白」「お転婆」は、自虐的な意味合いだけではない。
むしろ夏の炎天下を真っ黒になり、走り回る我が子の元気な姿を感謝する、そんな響きも含まれていた。
夏休みの終盤。
さすがの腕白お転婆どもも、後回しにした宿題のツケに追われる。

とは言え、朝から晩まで机に噛り付くなど、腕白坊主の名折れとばかりに、ぼくは夏休みの残り時間を、惜しむように駆けずり回った。
そして迎えた始業式の朝。
「お腹が痛い、頭が痛い」と、やおら仮病を繰り出す。
しかし母はそんなこと、先刻お見通し。
「ちっとも宿題せんと、遊びからかした罰やわ!さっさと学校行って、潔う先生に拳骨貰っといで!」と、叩き出されたものだ。
「親子で急場凌ぎに、帳尻合わせをする宿題なら、いっそ有のままでいい」。
それとも「せめて腕白坊主でいられるわずかな時代を、悔いの無いようとことん遊び尽くせ」とでも、母は言いたかったのだろうか?
その教えの良し悪しは、未だにわからぬ。
だがその成れの果てが、今のこの我が身。
ならば今更つべこべ言っても始まらない。
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夏休みの宿題と言えば いつも最後まで残るのが工作と感想文でした。
わかっているのに 小学生の頃は学校のプールで真っ黒に… 中学生の頃はテニスの試合や練習で真っ黒に…
でも高校生になると日焼けするのが嫌で屋内ばかりの生活に。ダラダラと宿題をしてました。
『夏休み』っていう言葉を聞くだけで 物凄く時が長く感じるのは私だけ?( ◠‿◠ )
終業式を終え、通信簿の出来の悪さをこれでもかと言わんほど、こってり絞られたばかりの夏休みの始まりが一番楽しくって、そこから夏休みの終わる日に向ってカウントダウンが始まっていたんですよねぇ。
でも子どもの頃は、そんな道理にも気付かず、夏休みは永遠に終わらないような気になっていたものです。
潔いです。もう カッコ良すぎて
結局 薬局 です。
出来る人はそうらしいですから仕方ないです。それと 出来る人は
頑張った所は覚えてないらしいとも言いますもんね。
先日 朝の涼しい時間帯に
これだけ涼しければ 勉強はかどる
な〜とか思ってしまいました。
結局 扇風機に向かって「あ〜〜〜」とか言っている
あづい夏を思い出してしまいます。
扇風機に向って歌を歌うと、微妙にビブラートが効いて、あたかも歌が上手になったような気になりませんでしたか?
私も おてんば娘だったので 膝や肘にいつも 赤チン まっかっかでした〰
今はバンドエイドだけで ?
何十年も 赤チン膝 見ないですね
22日から世間は夏休み ( ◜‿◝ )♡
我が家の小さな怪獣君は始めての
『夏の友』
早起きして ちゃんと出来るの〰?
自由研究は〰?
私も 夏休み〜 ❣ って 半月ぐらい休みた〰い けど その後 仕事が無くなる (。・//ε//・。)
子どもの頃は、どんなに夏休みが長くたって、休みを持て余すことなんてなかったのに、この年になると何にも予定のない日が続くと、心まで病みそうな気がしちゃう貧乏性です。
昭和の悪ガキ共のヒザは、必ず赤い!
かさぶただって勿論!赤い!
そう、みんなヒザ小僧には「赤チン」を塗っていた。
ある意味、赤チンは悪ガキ共の勲章!
勿論!ハナ垂れモもっちは、何時もヒザは真っ赤っか!
でも、いつの間にか、ヒザを赤くしている子供を見かけなくなりました。
生産中止になっていたとは・・・
瘡蓋を自分でついついめくってしまい、またそこから出血して赤チンを塗っての繰り返しでしたよねぇ。
M大の「わんぱくでもいい、たくましく育ってほしい」ってCMありましたよねぇ。いつの時代でも、逞しくなくっちゃね⤴️
腕白坊主とは、けっして法に触れる様な悪事を働く子供を指す言葉ではなく、「家の元気すぎる倅が」と言う謙譲語の一つだった気がします。