昭和がらくた文庫16話(2012.3.22新聞掲載)~「名残の口笛」

戦友(とも)を背にして道なき道を 往けば戦野は夜の雨 すまぬすまぬを背中に聞けば♪

色褪せた一枚のモノクロ写真。

ぼんやり眺めながら、このメロディーを口笛で奏でていた。

写真の舞台は、昭和も半ばの、6畳一間の我が家。

丸い卓袱台には、徳利にビールの空瓶と大皿料理。

3組の夫婦が赤ら顔で車座に囲む。

捻り鉢巻き姿で、箸をタクトに見立て振り回す男。

空徳利を逆さに覗き込む者。

男たちは、誰もがランニングシャツにステテコ一丁。

女たちは皆、花柄のあしらわれたアッパッパー姿。

写真は参考

今とは比べ物にならぬ、みすぼらしさだ。

しかしどの顔も、屈託の無い笑みが宿り、生き生きと輝いている。

確かこの写真の頃だった。

父が隙っ歯で奏でる口笛を真似ていたのは。

その歌詞が、「麦と兵隊」という軍歌だと知ったのは、随分後のことだ。

写真は参考

赤紙一枚で、青春を戦地に差し出した父。

写真は参考

忌まわしき戦いの記憶は葬り去れても、耳に馴染んだメロディーまでは、拭い去れなかったのだろう。

この国を守る的となり、青春を捧げた若者と、何不自由のない現代の若者。

いずれも、青春の重さに違いはあるまい。

ただ生れ落ちた時代が、違っていただけ。

年老いた父の口笛は、楽しい時も、辛く苦しい時も、いつも十八番(おはこ)のこの一曲。

父を亡くし、はたと気付いた。

あの一つ覚えの口笛は、戦地で出会い散って逝った、数多の戦友(とも)の御霊に対する、父が手向けた弔いではなかったのか?

それが貧しくも、戦後の平和な時代に生き残った者の、まるで務めであるかのように。

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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「昭和がらくた文庫16話(2012.3.22新聞掲載)~「名残の口笛」」への8件のフィードバック

  1. 口笛ってさ~ぁ!
    練習した覚えないけど自然に出来たと思う!
    子供の頃
    夜、口笛を吹くと「泥棒」が来るとか!「へび」が来るとか!
    純粋な僕チンは、親の言いつけを守っていました。
    最近!口笛を吹く子供、見なくなったような・・
    平成、令和の子供達って、口笛吹けるんやろうか?

    1. ああっ、確かに仰る通り!
      最近の子どもたちが口笛やら草笛を吹いている姿って、見かけませんものねぇ。

  2. 子供の頃は、親戚が集まってよく食事をしてたように思います。それが楽しみの一つだったのかも\(^o^)/

  3. その曲は… もしかしたら 言葉にすると辛いから口笛にしたのかなぁ〜と勝手に思ってしまいました。
    無意識に口笛で曲を奏でてるのかも知れないし 身体に染み付いてるのかも知れない。そして何より 戦友の方達の事をいつも想ってるっていう証なのかも。
    時代に翻弄されるのはイヤだけど 昔を生き抜いた方達がいたからこそ 今この時代を生きている。ならば ちゃんと意思を持って生きていかなきゃ…と ブログを読みながら思いました。

    1. 今の様に能天気に平和保享受できているのは、そうした礎となって先達があったればこそですものねぇ。

  4. いろいろ戦争はしましたが
    日本は第二次世界大戦で平和を知りましたね

    今、鬼滅の刃がはやってますがあれは大正時代

    時代が振り返らないのを願いたい

    1. それでも愚かな過ちを繰り返すんでしょうね。
      残念ながらこれまでの歴史が物語ってますものねぇ。
      でもそれを否定できる時代が作り上げられるか、それが現代を生きるぼくらに問われている事なんでしょうかねぇ。

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