昭和がらくた文庫14話(2012.1.26新聞掲載)~「お国訛りは、親の温もり」

「実はお前に、兄と姉がおるんや」。

父は痴呆病棟のソファで、いきなり切り出した。

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三重の片田舎で生まれた父の青春は、大半が貧しさと戦争に蝕まれた。

戦後は、母と一人息子のぼくを養うため、寸暇を惜しむ働き振り。

蝉の抜け殻のように、背を丸めた父が、ぼんやり遠くを眺めた。

…今日は雨か…

途方も無い告白にそう感じた。

父の痴呆は、2歩前進しては、すぐに3歩後退を繰り返す。

いつしかぼくは、それを天気に準えた。

澱みなく会話が成立する日を快晴。

全く意味不明な日をドシャ降りと。

それが老いさらばえる父の、尊厳を守る唯一の手段だった。

どんな名か問う。

すると父は、「兄が奥田●●、姉が●●」と答え、震える指先を宙に這わせ、見事な表記で名を記した。

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父は復員後間も無く、口減らしのため婿養子へ。

そこで2人の子を成すが、姑に追い出され離縁。

後に母と再婚したという。

ドシャブリどころか、雲ひとつ無い快晴そのものだったのだ。

「わしが逝っても、お前は一人やない。みなとあんじょう(・・・・・)(みんなと塩梅良く)やりや」。

生涯抜けることの無かったお国訛りで、父が念を押す。

それから程なく、父はそそくさと、母の元へと旅立ってしまった。

良いことなど、数えるに足らぬ父の人生。

争いや、人を恨むことを嫌い、ただただ不器用に、父は最後まで「あんじょう(・・・・・)」を身上として行き抜いた。

「ちゃんとあんじょう(・・・・・)やってるよ」。

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父の遺影にそっとつぶやき、父が大好きだった煙草に火を燈し、そっと手向けた。

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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「昭和がらくた文庫14話(2012.1.26新聞掲載)~「お国訛りは、親の温もり」」への6件のフィードバック

  1. お国訛り!
    方言って、イイよね~ぇ⤴
    特に、女性の話す、京都弁なんて、どうよぉ~⤴
    けど!もっとイイのが!
    女性の話す、博多弁!
    *「ヤマもモさんの事、好とうよ♥」なんて言われた日には・・・!
    もうメロメロ⤴
    まぁ~⤴私の場合、どんな方言で言われても・・
    鼻の下が、ゆるゆるだけどねぇ!

    1. 素晴らしい!
      さすがに博愛主義者は違いますねぇ。
      ストライクゾーンがとっても広くって!
      誰でもウエルカムとは・・・。

  2. 母には訛りはなかったけれど、母の両親、つまり私のおじいちゃん、おばあちゃんには訛りがありました。子供の頃は『ズーズー弁』って言ってたけど、それでも通じ合っていて可愛がって貰いました。

    1. 方言って土の匂いがするようで、なぜだかほっこりとした気分になれちゃいますよねぇ。

  3. 今 日本酒を飲んだ後だからなのか ブログを読みながら涙が止まらなくて…。
    「あんじょうやりや…」
    良い言葉じゃないですか!
    逝く者 残る者 それぞれが想いを馳せながら 前を向く…
    私なら どの言葉で伝えようかな?
    長男と次男に伝えるには 難しいぞ〜(笑)

    1. 魔法のような言葉って、何気なく普段使っている言葉の中にも、きっと沢山あるのでしょうねぇ。
      発せられた言葉を受け取った者が、どんな状況で、またどんな心境にあるかによっても、その言葉に含められた景色も変わって聴こえるのかも知れませんよね。

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