昭和がらくた文庫13話(2011.12.29新聞掲載)~「名曲に重ぬる我が人生」

ふと思い立ち、鹿児島行きの最終便に飛び乗った。

写真は参考

母の生まれた地に立ってみたい、ただそれだけの理由で。

写真は参考

母は昭和3年に生まれ、幼い頃実の父と死別した。

後に婿入りした義父との間に、二人の弟が誕生。

日増しに戦時色が深まり、三度の食にも事欠く有様。

窮する暮らしで心も荒み、義父はぶつけ様の無い憤りを、妻や子に向けたと言う。

母は身を挺し、幼い弟を庇い続けた。

乙女時代と引き換えにして。

そんな在りし日の、母の思い出話を、末弟から父の葬儀の後で聞かされた。

写真は参考

「姉には昔、好きな人がおったんや。でも義父が反対して、別れさせてしまってなあ。それが許せんかったんやろ。二度と帰らんと誓って、故郷を捨てたんやで」。

♪おぼえているかい 別れたあの夜 泣き泣き走った小雨のホーム 上りの夜汽車の にじんだ汽笛 切なく揺するよ (おい)らのナ (おい)らの胸を♪

子守唄代わりに、いつも耳にしていた曲が、口を付いて飛び出した。

写真は参考

母の生まれ育った、町の一角を歩きながら。

この歌が「りんご村から(歌/三橋美智也)」の2番の歌詞であることに気付いたのは、大人になってからだった。

歌詞の一文字一文字に、引き裂かれた遠い昔の初恋を、偲んでいたのだろうか。

だが母は生前、一度たりとも帰りたいとは言い出さなかった。

日々の暮らしに追われ、それどころでは無かったからか。

はたまた、夫を慮ってのことだったのか。

今となっては知る由もない。

もう一度、大きく息を吸い込んでみた。

写真は参考

遠い日の、母の匂いが感じられる気がして。

このブログのコメント欄には、皆様に開示しても良いコメントをドンドンご掲示いただき、またその他のメッセージにつきましては、minoruokadahitoristudio@gmail.comへメールをいただければ幸いです。

投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「昭和がらくた文庫13話(2011.12.29新聞掲載)~「名曲に重ぬる我が人生」」への8件のフィードバック

  1. 鹿児島
    慰安旅行で一度行った事があります。
    遠い昔なので、あまりはっきりとは覚えてませんが
    練り物好きにはたまらない「さつま揚げ」
    揚げたて出来立て、美味しかったな~ぁ⤴
    私は熱々のご飯に生姜醤油で「モグモグ」
    オカダさんなら、薩摩焼酎で「プッハ~ァ⤴」だねぇ!
    あっ!違うかぁ!
    キリン一番搾りだなぁ!

    1. 鹿児島では、鳥刺しやら黒豚、薩摩揚げにきびなご等、色々いただきましたが、ぼくにはお醤油の甘さがちょっと・・・(汗)

      お母ちゃん、ごめんね!

  2. 母は新潟生まれ。8人兄弟の6番目。貧乏人の子沢山だ。いつ名古屋に引っ越して来たかは聞いてないが家族で名古屋に引っ越してきたようだ。ある時「他の兄弟は知らないけれど新潟に帰りたいとは思わない」とぼそり。母には母の生きた分だけの人生があったはず。もっと聞いてあげれば良かったな。

    1. そう言うのって、どなたにもきっとありますよねぇ。
      それが生きた証でもありますものねぇ。

  3. 歌の題名じゃないけど ” 人生いろいろ ”
    そして 誰にも言えない事もいろいろ…
    あるのですよ 私にも(笑)
    鹿児島 いいですよ〜( ◠‿◠ )
    食べ物や温泉や自然。魅力的なものがいっぱい!
    父親の故郷なので 毎年のように帰ってました。優しさも溢れてたので いつも帰り際泣いてたっけ。いつか鹿児島で暮らそうとも思ってました。
    いつか思い出の地巡りしようかな⁈

    1. 城山から臨む桜島は圧巻で、なんだかとっても勇気をいただけちゃうから不思議なものでした。
      今夜は桜島で買い求めた薩摩切子のぐい吞みで、冷酒でも傾けてみようかな?

  4. 西鹿児島駅があった頃、若い頃に自転車で野宿しながら鹿児島にたどり着きました。半世紀ほど前です。霧島韓国岳や高千穂岳に登りました。資金が尽き鹿児島大学の学生寮に泊まって、土木工事のバイトをしながら、帰りの交通費を稼ぎました。自転車は輪行袋に収めて夜行急行「かいもん」に乗って戻ってきました。後日、仕事で訪問した折は飛行機で往復するようになりましたが、鹿児島空港は山の中にありました。知覧を訪ねて戦争の悲惨さに涙しました。
    キビナゴのお刺身は美味しゅうございました。

    1. キビナゴのお刺身に、鶏のお刺身!
      ちょっと甘いお醤油には、母の故郷鹿児島ながら、ぼくにはちょっとーっ!
      でも鹿児島の空気は、母の故郷の気に満ち溢れていたものです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です