「お宅のご主人、いつも背広をピシーッと着こなして。颯爽と自転車でご出勤やけど、お勤めは一流会社?」。
「そんな…」。
物干し竿から、洗濯物を取り入れる母の声がした。

「ごく平凡やよ」。
そう言うと、父の青色の作業着を、慌てて丸め込んだ。

父は昭和半ばの高度成長期を、鉄工所の溶接工として勤め上げた。
毎朝数少ない背広に袖を通し、数本のネクタイをとっかえひっかえ結んで。
ロッド式ブレーキの、頑丈な自転車に跨り、昭和後半の時代を駆け抜けた。

ある日のこと。
「働くお父さん」という作文の宿題で、母に伴われ父の職場へ。
すると油塗れで真っ黒な、菜っ葉服姿の父が現れた。
「背広姿しか見た事ないで、ビックリしたやろ?」と父。
油汚れで真っ黒な軍手を取り、額の汗を拭い煙草に火を付けた。

「鉄と鉄をくっつけるんが、お父ちゃんの仕事や」。
夕陽に浮かんだ、油塗れの父の笑顔。
汗と油と煙草臭さが、昭和の繁栄を築いた、男たちの匂いだった。
「背広より、ずっと男らしいわ」。
ぼくがそう言うと、父はロイド眼鏡を持ち上げ、油塗れの指先で目頭を押さえた。

母はあの日以来、通りに面した一等地に、薄汚れた菜っ葉服を、堂々と翻すようになった。
一方、父は「3着の上下変えたら、9日も持つで」と。
ついに定年のその日まで、古びた3着きりの背広姿で押し通した。
「モッチャンは、貧しかったあの頃も、洒落者やったな」。
父の遺影を眺めながら、叔父のつぶやいた言葉に、遠い日の記憶が鮮やかに甦った。
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私は働き始めてズッ~と!
サラリーマンだったけど
スーツにネクタイして勤めに行くなんて事はなかったので
少し憧れる!
「馬子にも衣裳で」少しは出来る男に見られるかも知れない?
まぁ⤴かも知れない?とは言うよりも出来たけどねぇ!
誰も知らんから・・言わせてもらうねぇ!
みんなそれぞれに、それぞれの立ち位置で、その場所にあったワークスタイルで頑張ったんですって!
でもぼくもこれからだってもう一丁頑張るぞう!
父は白衣を着て仕事をしていましたが、今は普段着のままの人の方が多いのかなぁ。えっ!何の職業かって?シィ〜、ないしょ(バッサリ!!)
それぞれの職業柄でユニフォームってありましたものねぇ!
ってぇことは、お医者様でしょうか❓
お父様は 洒落者だったんですね⁈
ん!なんか良い!こだわりがあったのかも⁈ ( ◠‿◠ )
私の父親は 車の製造関係の仕事に就いてて 往復時は カッターシャツにスラックスで 勤務先でグレーの作業着に着替えてました。
油汚れって なかなか落ちないんですよね。
どんな仕事着でも 取り組む姿がプラスされるとカッコいいんですよ!
そんなお父ちゃんたちが、紛れもなく昭和半ばの高度経済成虫時代を支え抜いていたんですものねぇ。