今日の「天職人」は、岐阜県山県市葛原の「八百屋の行商」。(平成24年3月3日毎日新聞掲載)
坂の下からパタパタと オート三輪喘ぎ声 八百屋のオッチャン鐘鳴らし トロ箱並べ店開き 腰の曲がった婆ちゃんが あれやこれやと品定め 「あんた干物が好きやろう ええの仕入れて来といたで」
岐阜県山県市葛原で、親子二代に渡り、山間部の過疎地へと、食料品を行商する丸一商店。二代目主の長野富郎さんを訪ねた。

「この店に無いのは、洋服と和尚のお経くらいやて」。富郎さんが、移動販売バスの入り口を開けた。

「昔は入りきれんほど、客が並んで待っとった。でも年寄りの客は、順に死んでってまうでねぇ」。
富郎さんは昭和22(1947)年、3人兄弟の長男として誕生。
「敗戦後に父が復員し、すぐに名古屋の八百屋で修業して来て。昭和21年には自転車に魚入れるトロ箱積んで、お客んとこへ配達するようになったんや」。

商売は好調でやがて、自転車もオート三輪へ。
「父が魚や野菜を配達しとると、炭やら薪やらを運んでくれとか。製材所の大鋸粉を風呂屋へ運んでやったり。病人が出たっちゅうと、荷台に戸板敷いて医者まで運ぶし。花見の頃には、集落のもんを荷台に鈴なりに乗っけて、谷汲山まで走るわ。今の時代みたいに、セカセカしとらん、のんびりしたええ時代やった」。
富郎さんは裏を流れる武儀川を、ぼんやり眺めた。
「高校出たら『おめえ、高校行くくらいなら、丁稚に行け』って」。
岐阜市の魚屋で1年と、料理屋で2年の修業に。
昭和40年、帰郷し家業に従事した。
「ぼくは料理屋をやりたかったんやけど、父が借金拵えるのに反対で。父がここから西へ、ぼくが東へ向けて、当時はまだ冷蔵庫も無い幌付きのトラックで行商やて」。
昭和46年、行商先で思わぬ収穫が。
「お客さんとこの娘を貰ったんやて」。
弘子さんと結ばれ、一男二女が誕生。
翌年には、冷蔵庫を搭載した、念願のアルミバンを手に入れた。
「少しでも鮮度のいい状態で、届けたいでなあ」。

それからも7~8年毎に、新しい設備を備えた車両へと乗り換えた。
「今みたいにマイクロバスの中で、買い物してもらえるようになったのは、これで2台目やね」。
毎日往復35~6㌔の道程を、山間の小さな集落へと分け入る。
昭和52年、先代が他界。
「それからやて。家を建替えて、1階で食料品売って、地下は調理場。2階に法事やら宴会用に座敷をしつらえて。昔料理屋で学んだ魚料理が好きやもんで、ぼくが料理長やて」。
行商は週6日。
「月水金が山向こう。火木土が葛原や」。

毎朝5時に岐阜まで仕入れに出向き、一旦戻って朝食。
午前11時から午後6時まで、14~5箇所を巡回する。
「頭痛いで薬買って来いやら、ビールに米はないかとか。まるで玄関横付けのコンビニやわ。中には『やっとかめに人間と話せた』って、そんな年寄りもおる」。
時には孤独死や火事に出くわし、救急車や消防を呼び消火を手伝うこともある。
「不思議やけど、仕入れに行くと、好みを知っとるで、客の顔が目に浮かぶんやて」。
愛車のボディを撫でながら、富郎さんが笑った。
「後もう10年、コイツと頑張るわ」。
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今、家の近くにはスーパーやコンビニは沢山あるけれど、個人の八百屋さん、魚屋さん、お菓子屋さんは無く薬局もなくなってしまった。唯一あるのはお肉屋さん。オカダさんの住んでいる所はもっと都会だから近くにスーパーすら無いのでは?
昔ながらの肉屋も八百屋も魚屋も、豆腐屋だってありますよ。
もちろんスーパーだってありますって!
この歳になると
今更、やりたい事はないけど・・
この移動販売バスは、やってみたい!
皆さんに喜んで貰って!
あ~ぁ⤴
皆さんの役に立てて良かったなぁ~⤴
と、天国か?極楽に?行きたいもんです。
オカダさんだったら移動バスライブなんてイイかも?
きっと!皆さんに喜んで貰える事!
間違いなし!
そうかあ!
だったら移動居酒屋なんかはいかが?
息子が『ブーブのまんまさん』と 呼んでいました ( ◜‿◝ )♡
38年前 息子が生まれて直ぐの頃には当時住んでいたマンション前に トラックの八百屋さんが、来てくださっていました❣️
週に2回 午前中に2時間ほど
息子が寝たすきに ほんの数分で買い物が出来き 料理のレシピも教えてくださり 私にとっては『神』でした
(✿ ♡‿♡)
我が家の近くも 独居高齢者が多くなり 杖をつきながら 大変そうにお買い物をしている方々をよく見かけるので、街中にも来てくださると嬉しいな〜
╰(*´︶`*)╯
ご高齢の方にとっては、移動販売が回って来てくれるとたすかりますよねぇ。
買い物難民なんて言葉が生まれる時代ですものねぇ。
対面販売で売り子さんとのコミュニケーションも、家に閉じこもりがちのご高齢者にとっちゃ、立派な会話の出来る時間ですしねぇ。
うちの近所のスーパーは 移動販売をしてるんですよ。各4店舗から1台ずつ 週2回 5市を周っているそうです。
軽トラに300品目揃えて自宅近くや玄関先まで。
凄いですよね!
高齢者の方や身体が不自由な方や小さいお子さんのいる主婦の方などにとっては 本当に助かっていらっしゃるんじゃないかなぁ〜と思います。
誰かの為に何か… 頭が下がります。
そんな一心助のような心根って、人情味があって素敵じゃないですか!